スマートフォンを操作しなくても、履いているだけで自分の状態をAIに伝え続けられる。そんな「アンビエントインテリジェンス」を志向したスマートインソールが、CES 2026でイノベーションアワードを受賞した。
手がけたのは、かつて「光る靴」で注目を集めたスタートアップ、ORPHE(オルフェ)。創業から12年、医療現場や製造現場へと活躍の場を広げてきた同社は、AI以降のウェアラブルに何を見ているのか。代表取締役CEOの菊川裕也氏に聞いた。
ORPHEの歩みは、2014年の創業に遡る。菊川氏が学生時代に「新しい楽器を作りたい」という発想から生まれたのが、足の動きで光や音を制御できるスマートシューズ「ORPHE ONE」だった。ソール全体に約100個のフルカラーLEDと9軸モーションセンサーを内蔵し、ダンサーやアーティストのパフォーマンスを彩る製品として、CMや舞台演出、メディアアートの世界で支持を集めた。
しかし、量産化の過程で課題が見えてきた。靴は歩くたびに屈曲を繰り返す。つま先に近い部分は何万回、何十万回と曲がり続け、衝撃を受け続ける。フレキシブル基板やLEDは、その過酷な環境で徐々に破損していった。
「耐久性と履き心地、靴としての機能性に問題があり、スケールする製品としては難しかった」と菊川氏は振り返る。
転機となったのは、その経験から得られた知見だった。ソールの中央部に硬い基板を配置しても、運動を阻害しないことが分かったのだ。ならば運動の計測はできる。そう考えて生まれたのが、センサーモジュール「ORPHE CORE」だ。アシックスのスポーツ工学研究所と連携し、靴の性能を損なわないサイズを検証。ランナーが激しく走っても壊れず、センシングできる仕組みを確立した。
その後、センサーを靴紐部分に取り付ける方式も開発し、専用シューズ以外でも使えるようになった。医療現場での歩行分析にも対応できる形態へと進化している。
CES 2026でBest of Innovationを受賞した「ORPHE INSOLE」は、6軸モーションセンサーと6点の圧力センサーを搭載したスマートインソールだ。既存の靴の中敷きと交換するだけで、その靴をスマートシューズ化できる。
菊川氏によれば、インソール型の発想自体は創業当初からあった。しかし当時は技術的なハードルが高かった。
「フレキシブル基板の性能や、圧力センサーの安定性と価格の問題がありました。安価で、何百万回もの耐久性があるセンサーが手に入らなかった」
状況が変わったのは2023年頃だ。世界中でスマートインソールの開発が進む中、ノウハウが蓄積され、実用に耐える部品が入手可能になっていた。
きっかけは二つあった。一つは三菱マテリアルとの共同開発プロジェクトだ。製造現場での転倒検知や労災予防のニーズに対し、安全靴そのものを改造するのは難しいが、インソールを入れ替える形なら対応できる。もう一つはNEDOのSBIR推進プログラムへの採択だ。高齢者の転倒予防をテーマに、ケアシューズの中のインソールだけを取り替えて見守るという構想が評価された。BtoB的な多方面からの需要が確認でき、新しいハードの開発に踏み切った。
「スマートフットウェアの本当のポテンシャルは、最終的には全ての人の靴にセンサーが入り、全ての人を健康に導けるというところにある。その目線で考えると、やはり無意識的に続けられるものを作りたい。安全靴は特に分かりやすくて、作業中は必ず履いていなければならないというルールがある。付け忘れがない前提で転倒検知ができるのは、非常に大きい」
インソール型には、専用シューズ型にはない利点がある。ユーザーは自分のお気に入りの靴をそのまま使える。充電やデータ吸い出し以外は無意識で続けられる。長期間にわたって同じ人に履いてもらい、データを蓄積するような用途に向いている。
一方で、イベントなどで多くの人に短時間で試してもらうような場面では、衛生面の問題もあり不向きだ。そこは従来のORPHE COREの方が適している。用途に応じた使い分けが可能になった。
ORPHEは創業以来、アシックスとの協業でランニングシューズを開発し、ウォーキングの指導やパーソナルコーチングといった一般消費者向けのサービスにも取り組んできた。しかし菊川氏は、コンシューマー領域でハードウェアスタートアップを成立させる難しさを率直に語る。
「ランニングやウォーキングを指導するサービスは、今でも十分な市場の可能性があると思っています。ただ、これを成功させるために掘るべきところはハードよりもコンテンツです。サービスとして追求し、持続的にやっていくには相当な投資が必要で、ハードウェアの開発に多くのリソースを割いている今の体制では難しい。
一方で今の日本の市場ではBtoCのハードウェアスタートアップが十分な資金を集めるのは厳しい環境にあると思います。特に我々の挑戦する無意識下の歩容の読み解きから改善の提案は、その人の年齢や体格、生活習慣、過去の怪我といった背景情報なしには成り立たない領域で、その場面のセンサデータだけ見てもなかなか一般化できません。
莫大な組み合わせデータとコンテンツが合わさって初めて真価を発揮できるものだと考えています」
ORPHEが解析する歩容(歩行パターン)は、年齢、体格、健康状態、疲労、精神状態など、さまざまな要因で変化する。データを見ただけで一般のユーザが自身の課題を特定し、改善につなげることは容易ではない。
「逆に、バイオメカニクスの研究者や理学療法士などの医療従事者は歩容の読み解きをアナログにやってきた人たちです。うちのデータを見せると『これは分かりやすい』と言ってもらえる。つまり、データを見て読み解く人がいれば、ハードが出すユニークなデータは直接価値につながる。ハード自体に価値があっても、それを発揮するところまでいく体制が整っていなければ意味がありません。
ハードとしての価値を引き出しやすいところから始めて、徐々にコンテンツを充実させながら多くの人に広げていくべきというのが、今の自分の見解です」
では、生成AIの進化によって「読み解く人」が不要になる日は来るのか。菊川氏は慎重な見方を示す。
「社内にはスポーツ医学の博士や理学療法士のメンバーがいて、運動学的な評価を決めています。ただ、そういうプロであっても、数秒の動いている人の映像だけを見せられて『良いアドバイスを出してください』と言われたら、年齢や背景のヒアリング情報がなければ難しい。生成AIも同様で、それらしいことは言えるかもしれませんが、本当に役立つものにしようと思ったらコンテクストを見なければならない」
ただし、プロトコルが定まれば自動化の余地はある。たとえば特定の手術後のリハビリでは、どの数値をどう見るかがある程度決まっている。その対話部分をAIに任せることは技術的に可能になりつつある。専門職がいらなくなるわけではないが、AIに助けてもらいながら正確なフィードバックを返せる時代が来るだろうと菊川氏は見ている。この気づきが、医療・研究領域へのフォーカスにつながった。
現在、最も使われているのは整形外科やリハビリの現場だ。10m歩行テストという検査がもともとあり、多くの病院ではストップウォッチで歩行速度を測っていた。ORPHE ANALYTICS MEDICALなら、センサーを取り付けてiPadでスタートとストップを押すだけで、着地角度や衝撃、バランス、リズムといった詳細なレポートが出力される。手間はほとんど変わらないのに、得られる情報量が格段に増える。
その有用性は現場での利用頻度にも表れている。医療機関によっては、週100件以上を記録しているケースもある。非常に簡単に使えるにもかかわらず、研究にも耐えうる精度を持つ。その両立が評価されているという。
月額3万円台から導入でき、従来の歩行分析装置と比べて大幅に低コストな点も、利用を後押ししている。理学療法士が学会発表に使う例も出てきており、論文や症例報告の道具として定着しつつある。
産業分野でも展開が進む。工場での転倒検知や腰痛ヒヤリの予防をテーマに、安全靴用のインソール型センサーを開発している。転倒が検知されると、工場管理者へスマートフォンアプリで通知が届き、近くの作業者にもアラートが発信される。ヒヤリハット情報を収集してマップ化する機能も備える。作業中は必ず履いていなければならない安全靴だからこそ、付け忘れがない前提で転倒検知や熱中症のログ取りができる。菊川氏はこの領域に大きな成長の可能性を感じているという。
CES 2026では、ORPHE INSOLEがデジタルヘルス部門でBest of Innovationを受賞した。菊川氏は「センサー内蔵のインソール自体は以前からあったので、ここまで話題になるとは思っていなかった」と振り返る。
評価されたのは、「フィジカルAI」かつ「アンビエントインテリジェンス」を志向したコンセプトだった。これからの時代、AIとどう対話していくかが重要になる。音声なら話さなければならない。スマートフォンなら手で入力する必要がある。しかしインソールなら、履いているだけで、意識しなくても自分の状態を伝え続けられる。
ORPHE INSOLEは24時間以上の連続駆動が可能で、専用の充電マットに置けばスマートフォンを介さずにデータをクラウドへ送信できる。履くだけでデータがネットにつながる仕組みだ。
「歩容はその人の健康状態や疲労、精神状態を反映していると言われています。AIが常にそれを読み取っていれば、『疲れているのではないですか』『次はこうしたらいいのではないですか』といった先読みが可能になる。AI前提で考えたときにウェアラブルはこうなっていくだろうと考え、その発想を打ち出しました」
会場での反応は良好だった。アメリカの足病医(ポダイアトリスト)から使いたいという声があり、シューズメーカーや安全靴メーカーからも転倒検知・転倒予防への関心が寄せられた。すでに具体的な商談に進んでいる案件もある。
「アメリカは物価が3倍くらいで、人件費も高い。工場で働く人の労災を予防できたときの価値は、日本より大きいと感じました」
一方で、スマートインソールやスマートシューズを手がける競合の姿がほとんど見えなくなっていたことも印象的だったという。
「以前はCESの会場にもっといたはずの競合が、展示していない。スマートフットウェア系のスタートアップは、淘汰の時代に入っているのかもしれません。逆に、残存者として注目されている面もあるのではないかと感じています」
インソールや医療向けソリューションが軌道に乗りつつある中、ORPHEは別のプロジェクトも進めている。創業時の原点に立ち返るような「光るスマートシューズ」の新製品だ。
Tokyo Innovation Base(TIB)でプロトタイプを展示し、メーリングリストへの登録を募っている。1000人が集まれば製品化プロジェクトを始動させるという仕組みだ。デザインはプロダクトデザイナーの小西哲哉氏が手がけ、独創性を担保ながらもスポーツができる靴として成立するよう、靴工場とも検証を重ねている。
「安全靴にセンサーを入れて転倒検知ができますと言っても、『それはそうだよね』という話になる。その会社が成長して何がいいことがあるのかが見えにくい」と菊川氏は語る。
「ORPHEに入ってくれるメンバーや、期待してくれる人たちは、これが広がったときにどういう未来になるのかというビジョンに共感してくれている。夢のあるプロジェクトもしっかりやっていきたい」
創業から12年。菊川氏は「もはやスタートアップという感覚もない」と笑う。
「今の日本でハードウェア一点ものでスタートアップ的にスケールするのは、かなり難しいんじゃないかと思っています。うちは回路設計からアプリ開発、医学的なエビデンス構築まで一気通貫で実行できる。足に特化しながら、いろいろな領域に広げられているのは、それを自社内で回せるからだと思います」
振り返れば、スマートシューズをビジネスとしてだけ見ていたら、とっくに撤退していたかもしれない。パフォーマンスが出せなければ辞めていただろう。それでも続けてこられたのは、この技術が社会のどこに生かせるのか、どうやっていきたいのかを考え続けてきたからだ。
「やはり自分自身のモチベーションとして、機能だけでは続けられないというのはあると思います。転倒検知をするだけのインソールを作るというなら、膨大な数を作るコスト競争では中国に勝てるはずがない。ストーリーやビジョン込みで応援してもらうことが必要ですし、やはり夢のあるプロジェクトを続けていかないといけないと思っています」
10年以上をかけてたどり着いたインソールがCESで評価された。それは、続けてきたことの一つの証明でもある。
関連情報