世界最大級のハードウェア・ディープテックスタートアップ支援機関として知られるHAX。アメリカ・ニューアークにある拠点で本格的なデモデイが開催された。厳しい条件をクリアした投資家のみに限定されたクローズドイベントの内容と、深圳・インド・ニューアークの3拠点体制で展開する最新のサポートモデルを現地で取材した。本稿ではアメリカのスタートアップのトレンドだけでなく、世界進出を目指すために必要な要素についても触れる。
2025年5月、アメリカ・ニュージャージー州ニューアークにあるHAXの施設で開催されたデモデイに参加してきた。HAXは世界で最も長い歴史を持つスタートアップ育成プログラムとして知られ、SOSVというアメリカのベンチャーキャピタルが運営する。
今回のイベントは、これまでのオープンなデモデイとは大きく異なっていた。参加には適格投資家であることが必須条件とされ、招待状には明確にその旨が記載されていた。具体的には、アメリカの証券法で定義される適格投資家(年収20万ドル以上または純資産100万ドル以上の個人、または資産500万ドル以上の法人など)、海外の投資家、適格投資家を代表する個人、またはSOSVが情報提供目的で特別に招待した人のみが参加可能とされていた。
実際、私たちがエントリーした際も「あなたたちは適格投資家ではないので参加できません」という返答が一度来たほどだ。私自身が住友商事、SCSK、SOSVが共同運営しているHAX Tokyoの関係者であることを伝えてようやく参加が認められた。
このクローズドなアプローチは、HAXが採択チームの本格的な資金調達を支援するため、投資意欲のある参加者のみに絞り込む戦略的な判断だったようだ。
デモデイの構成は極めてシンプルだった。
他のスタートアップイベントでよく見られる基調講演やパネルディスカッションは一切なく、まさに「筋肉質」という表現がふさわしい構成だった。
特に印象的だったのは、16チームによる2分ピッチのクオリティの高さだ。日本でよく聞くピッチでは、製品の技術説明は詳しいがビジネスポテンシャルが見えない、またはその逆といったアンバランスさを感じることが多い。しかし今回のピッチは、課題の深刻さ、解決策の妥当性、競合状況、市場の大きさ、獲得しているトラクション、チーム体制、成長と資金調達の計画という王道構成を、わずか2分の中で過不足なく盛り込んでいた。
しかも、テンプレート的な印象はまったくなく、各チームの状況やストーリーに合わせてしっかりと作り込まれていた。16チームすべてが「この後、この人たちのところに行って話を聞きたい」と思わせる仕上がりになっていたのは驚きだった。
この高いピッチクオリティは、HAXが提供するピッチトレーニングの成果だという。HAXのサポートは基本的にテーラーメイドで、定期的なインタビューをベースに各チームの課題に合わせた支援を提供している。特に次の資金調達に向けた準備として、ピッチの訓練には相当な力を入れていることが伺えた。
2分という短時間でこれだけの情報を伝えきれるからこそ、テンポよく進行でき、聞く側も疲れることなく16チーム分を集中して聞くことができる。そして何より、ピッチ終了後の個別コミュニケーションに十分な時間と体力を残せるという合理的な設計になっていた。
ニューアークへの移動手段として、マンハッタンのマディソン・スクエア・ガーデン近くからシャトルバスが運行されていた。集合時間の10分前に指定場所に行ったものの、それらしいバスが見当たらず相当焦った。というのも、私が当日の連絡先も電話番号も控えていなかったからだ。
キョロキョロしながらそれらしい車を探していると、「HAX DemoDay Shuttle Bus」という小さな案内が置いてある車を発見した。パーティーバスをレンタルしたもので、10~20人程度が乗車できるサイズだった。
バスに乗り込むと、すでに6~7人の投資家たちが和やかに会話をしている状態で、完全にアウェイな雰囲気だった。しばらくするとDuncan Turner(SOSVのGeneral Partner 兼HAXのManaging Director)、Susan Schofer(HAXのPartner兼Chief Science Officer)とさらに複数の投資家が乗車し、いよいよ出発となった。
隣がSusanになったので、初対面だったが日本から採択されたスタートアップについてヒアリングしたり、今後の方針について意見交換を行った。日本から来たと自己紹介すると、周りの投資家からも「日本の状況はどう?」「スタートアップエコシステムは?」「課題は?」「孫正義についてどう思う?」といった質問がバシバシ飛んできて、なかなか面白いディスカッションを楽しめた。
ハドソン川を渡って約30~40分でニューアークの施設に到着した。バスは路面状況の悪い中をかなりのスピードで走っていて、最初はみんなで「ローラーコースターみたいだ」と笑っていたが、車酔いに弱い私は話していても少し気分が悪くなるレベルだった。
HAXのサポートモデルについて、現地で詳しく話を聞くことができた。かつてHAXといえば中国・深圳での製造支援というイメージが強かったかもしれない。ただ、現在は大量生産への対応だけでなく、規模の大きなプラントサイズレベルの技術にも対応できるようにエンジニアリング・サポートの大半はインドに移行。その結果、現在のHAXは戦略的な3拠点体制で運営されている。
中国・深圳拠点:部品調達と工場の手配を中心としたサプライチェーン支援
インド・プネ拠点:試作から設計、解析・シミュレーションまでの開発・製造支援
米国・ニューアーク拠点:プログラム運営と資金調達支援
採択されたスタートアップからは「特にインドからのエンジニアリングサポートがめちゃくちゃ役立った。早くて安い」という声が聞かれた。このエンジニアリングサポートは他のアクセラレーションプログラムでは得られない唯一無二の価値だという。
基本的なサポート内容は、製品開発、事業開発、資金調達に向けた準備(ピッチ訓練や資本政策などのアドバイス)、チームビルドの4つを中心としている。いわゆる座学的なカリキュラムは用意しておらず、それぞれのチームの課題や目標に合わせたテーラーメイドのサポートを定期的なインタビューをベースに提供している。
ニューアーク移転以降、50チームを採択し、15カ月で60Mドルの資金調達を実現している。年間の採択チームは30チームで、アメリカ以外からのチーム(主にヨーロッパ出身)が約40%を占めているという。
HAXが現在注力している3分野は「Energy Security(エネルギーの安全保障)」「Industrial Independence(産業の独立=海外依存からの脱却)」「Human Health(ヒューマンヘルス)」だ。これまで「Climate Tech(気候変動対策テクノロジー)」という表現でカーボンオフセットやカーボンニュートラルに焦点を当てていたが、今回のデモデイでは「Energy Security」や「Industrial Independence」という表現が多用されていた。
特に興味深かったのは、Climate Tech的なアプローチとは異なる資源自給率向上への取り組みだ。よくテーマとして挙がるCO2吸着や削減に加え、いかに資源を確保するか、無駄遣いしないか、再利用するかといった観点のスタートアップが複数選ばれ、高い評価を得ていた。
例えば、Prinston Critical Mineralsは塩湖や塩水からリチウムを抽出するプロセスを開発している。アメリカ国内での展開に加え、南米での事業展開も視野に入れている。これは日本でも同様の技術を開発している企業があり、アメリカ市場への展開可能性を感じさせる事例だった。
また、Terranは土を原料にした建材や家の建設を手がけている。3Dプリンティング技術を使って安価でサステナブルな建設を可能にするもので、ドバイで大規模な事業展開を予定しているという。従来の建材を海外から調達する必要がないため、CO2排出量の大幅な削減にもつながる。
Industrial Independenceの文脈では、ロボティクス関連のスタートアップも出展していた。ただし、汎用的なヒューマノイドロボットではなく、非常に特化されたユースケースに絞り込んだアプローチが印象的だった。Danu Roboticsは廃品分別処理用のロボット設備を開発している。廃棄物処理という用途に特化しているため、グリッパーが丁寧である必要がなく、確実に分別できればよいという割り切った設計になっている。人間のスタッフ2人をロボットに置き換えて1年間で投資回収できる想定で提案していた。
ロボティクスの分野で、日本とアメリカのスタートアップには明確な違いが見られた。日本のロボティクススタートアップは「人手不足の解消」という広めのユースケースを提唱することが多い一方で、HAXに出展したチームは非常に狭いユースケースにずばっと刺さっている印象だった。
これはアメリカの市場規模の大きさも関係しているかもしれない。一つのニッチなユースケースだけでも十分な市場があるため、汎用的である必要がないということだろう。日本だと、ある程度汎用的にいろんな領域で活用しないと収益の採算ラインに乗らないという事情があるのかもしれない。
また、私が感じたのは、日本人はロボットに対して非常に多くを期待する傾向があるということだ。スマートで素晴らしい技術特性があり、汎用的でいろんなことに使えるべきだという期待を「ロボット」という言葉に込めている気がする。
一方で、HAXのチームはロボットというよりも「既存ラインの装置」に近い発想で、機能特化型のアプローチを取っている。ロボット技術を使っているが、あくまで特定の機能を提供するツールという位置付けだ。
今回のデモデイを通じて強く感じたのは、ディープテックのスタートアップが成長するためには、最初からグローバルに考える必要があるということだ。
技術レベルで言えば、日本のスタートアップや研究室がやっている技術は決して劣っていない。むしろ優れている分野も多くある。しかし、日本市場だけで1000億円を超えるような規模のビジネスを作ったり、そうしたバリュエーションを得ることは時間がかかる。
ディープテック分野でスタートアップ的な成長をしようと思うなら、やはりグローバル市場を最初から視野に入れる必要がある。HAXのようなアクセラレーションプログラムは、そうした意味で大いに活用すべきだと思う。JETROなどでもさまざまなプログラムが用意されているので、そうしたものも含めて検討する価値がある。
特に「Energy Security」や「Industrial Independence」といった分野は、日本も同じ課題を抱えている。むしろ日本の方が深刻な状況にあるかもしれない。そうした技術を持っている日本のスタートアップがアメリカ市場に進出できる可能性は十分にあると思う。
ただし、克服すべき課題もある。外為法への抵触リスク、知財の帰属問題(特に国立大学の研究成果の場合)、各国の法規制の違いなど、技術以外の部分での準備が重要になる。
もう一つ強く感じたのは、スピード感の重要性だ。HAXの売りの一つは「プロトタイプの作成がめちゃくちゃ早くてめちゃくちゃ安い」ということで、それができるから資金調達できるという話を何度も聞いた。
ディープテックは時間がかかると言われているからこそ、グローバルにスピード感を持って取り組む必要がある。そして、HAXのような環境に身を置くことの価値を改めて認識した。
イギリスから来たスタートアップの創業者が印象的なことを言っていた。「毎日、分野は違ってもハードウェアで何かをやろうとして手を動かしている仲間を見ながら作業することが、一番成長のベースになっている。イギリスでは絶対にない環境だ」
毎日そうした環境に身を置き、休憩時や食事の際のディスカッションの一つ一つが自分の力になっているという。アクセラレーションプログラムの価値を、私はこれまで過小評価していたかもしれない。設備があるから使うのは分かるが、わざわざそこに行く必要はないと思っていた。しかし、そうした「毎日」が成長の下支えになるのかもしれない。
もちろん、環境に甘えてぬくぬくとしてしまうのも良くない。HAXは基本6カ月のプログラムなので、「6カ月しかない、やるしかない」という緊張感も適度に保たれている。
最後に興味深かったのは、日本だったら絶対に採択されないだろうというスタートアップがいくつか選ばれていたことだ。
例えば、Portable Diagnostics Systemは薬物検査用のデバイスを開発している。現場での検査は時間がかかり、その間にトラブルが起きるリスクが高い。そこを大幅に短縮し、精度も向上させる携帯型デバイスを作っているのだ。「こういうソリューションが必要になる社会に、日本はなってほしくない」と思いつつも、アメリカならではの社会課題だと感じた。
こうした事例を見ると、日本の研究者の中にも、日本では見向きもされないかもしれないが海外では可能性がある技術を持っている人がいるのではないかと思う。彼らの文脈に沿って自分たちのやりたいことを表現すれば、出資を受けられる可能性もあるかもしれない。
そうした意味でも、視野を広げてカジュアルに海外展開を考えてみることには価値があると感じた。日本の技術力は決して劣っていない。むしろ見せ方とマーケットの特定、そして社会実装の仕方を学ぶことで、大きな可能性が開けるのではないだろうか。