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1枚数万円→5枚320円で納期3日——「個人が基板を発注できる」時代はこうして作られた

家電製品を分解したことがあれば、緑色の板に無数の部品が乗っている光景を見たことがあるだろう。あのコンパクトな板が、プリント基板(PCB:Printed Circuit Board)だ。スマートフォンの中にも、電子レンジの中にも、自動車のあちこちにも、基板はある。電子回路を機械的に支え、電気信号を正確に流す。現代の電子機器のほぼすべてが、基板なしには動かない。

かつて、この基板を「作る」ためには、化学薬品を使った自宅エッチングか、数十万円単位の最低発注額が必要な業者への依頼しかなかった。個人や小規模チームが独自の電子回路を形にしようとすれば、それだけでプロジェクトの最大の壁になった。

ところが2026年の現在、JLCPCBやPCBWayといった中国の製造サービスを使えば、5枚の2層基板を約2ドル(約320円)で、数日のうちに手元に届けることができる。設計ファイルをアップロードし、クレジットカードで支払えば、あとは待つだけだ。

この変化は、どのように起きたのか。20年以上にわたる技術的・産業的・コミュニティ的な変化の積み重ねを、時系列で追う。


基板とは何か——電子回路の「道路網」

画像出典元:jlcpcb.com

プリント基板を理解するための比喩として、都市の道路網が使われることが多い。建物(電子部品)の間を、道路(導電パターン)がつなぎ、電力と信号を届ける。道路が正確に引かれ、交差しないよう設計されていなければ、街は機能しない。

ガラス繊維やエポキシ樹脂でできた絶縁板の表面と内部に、銅の薄い層(銅箔)を選択的に残すことで、この「道路」が形成される。現代の基板は、スマートフォン用の20層以上のものから、LEDランプのような単純な2層のものまで様々だが、家電分解趣味のMakerや電子工作愛好家が扱うのは主に2層から4層の基板だ。

基板設計には専用のソフトウェア(EDA:Electronic Design Automation)を使う。設計した回路図を「ガーバーファイル」と呼ばれる製造用フォーマットに変換し、製造業者に送ると、物理的な基板が届く。このガーバーファイルこそが、製造業者との共通言語だ。

この仕組みを発明したのは、オーストリア出身の技術者Paul Eisler(1907〜1992)だ。Eislerはウィーン工科大学で電気工学を修め、1936年にナチスの迫害を逃れてイギリスに渡った。当時の電子機器は部品同士を1本ずつ手作業でつなぐ「ポイント配線」が主流で、内部は「鳥の巣(bird’s nest)」と呼ばれるほど複雑に絡まった配線で埋まっていた。手間がかかるうえ、振動や衝撃で接触不良が起きやすかった。Eislerは印刷技術を電子回路に応用することを着想し、絶縁基板に銅箔を張り、不要部分を化学的に溶かして導体パターンを形成するエッチング法を開発。1943年に特許を出願した。

「PCBの父」Paul Eisler(画像出典元:AT&S)

転機は第二次世界大戦だった。この技術がV-1飛行爆弾を迎撃するための近接信管に採用され、軍が量産した。戦後の1948年にアメリカが商業利用を正式に承認し、1950年代に入ると日本のラジオ・テレビメーカーが相次いで採用。部品の自動挿入と自動はんだ付けが可能になったことで、電子機器の大量生産が一気に加速した。

その後も基板は進化を続けた。1950〜60年代には両面基板とスルーホール技術が登場し、1970年代に多層化が進み、1980〜90年代にはSMT(表面実装技術)が普及して部品の高密度化が可能になった。発明から80年余りを経た現在、プリント基板は年間700〜900億ドル規模の市場を持つ産業の基盤になっている。

かつて基板製造は、特定の工場に縛られた閉鎖的なビジネスだった。1980年代から90年代にかけては、試作基板でも数十枚単位の最低発注が必要で、個人や小規模な開発者が気軽に発注できる環境ではなかった。ホビイストや学生たちは別の方法を探さざるを得なかった。


台所の化学実験——自宅エッチング時代

Parallax Basic Stamp 2(2000年代初頭のマイコンボード / 画像出典元:sparkfun.com

2000年代に入る前後まで、電子工作コミュニティには「自宅エッチング」という方法が広まっていた。感光基板(フォトレジスト処理済みの銅張り積層板)に回路パターンを焼き付け、塩化第二鉄や塩酸と過酸化水素の混合液を使って不要な銅を溶かし出す手法だ。

プロセスは手間がかかる。まずCADや手書きで回路パターンを作り、OHPフィルムや特殊な紙に印刷する。次に、そのフィルムを感光基板に重ねてUVランプで露光する。現像液に浸してパターンを現し、エッチング液に漬けて余分な銅を除去する。それからドリルで穴を開け、はんだ付けができる状態にする。

材料費は安いが、時間と手間が大きい。片面しか使えないため、複雑な回路では苦労する。塩化第二鉄は衣類や洗面台に触れると黄色のしみが残り、廃液の処理も厄介だ。

複数の回路が入り組んだ「両面基板」、あるいは部品が内部の層も通過する「多層基板」は、自宅エッチングではほぼ不可能だった。結果として、凝った設計をしたければ業者に頼むしかなかったが、業者への発注は1990年代の水準では50枚単位からが普通で、試作1枚を作るためにその費用を払う余裕のある個人はほとんどいなかった。国内の業者に少量発注が可能になった場合も、2000年代前半では試作1〜2枚で数万円という価格帯が標準的だった。試作を繰り返す必要があれば、1回の設計ミスが修正コストをさらに積み上げる。

ここに構造的な矛盾があった。設計の自由度を高めようとすれば製造のハードルが上がり、製造のハードルを下げようとすれば設計が単純にならざるを得ない。この矛盾を変えた最初の仕組みが、「パネル化」という発想だった。

こうした状況をいち早く変え始めた先駆者が、ブルガリアのOlimexだ。1991年にプロブディフで設立された電子部品・開発ボードメーカーで、公式サイトによれば1999年からPCBプロトタイプサービスをオンラインで提供し始めた。個人が少量の基板を業者に発注できる選択肢がほぼ存在しなかった時代に、設計ファイルを送るだけで試作基板を製造するサービスをホビイストや学生に開いた。

後述するSparkFun設立者のNathan Seidleは、PICプログラマーをOlimexから輸入したことをきっかけに「自分がアメリカの販売窓口になればいい」と考え、それがSparkFun創業の直接の原点になっている(SparkFun 15周年記事)。Olimex自体は現在も開発ボードや電子部品の製造・販売を続けており、PCBプロトタイプサービスのみ現在は休止している。


Nathan Seidleと「写真すら載っていない」電子部品の世界

創業間もない頃のSparkfunの倉庫(画像出典元:sparkfun.com

パネル化の発想が花開く土壌を整えたのは、まずオンライン電子部品販売という文化の醸成だった。

2002年末、コロラド大学ボルダー校で電気工学を学んでいたNathan Seidleは、開発ボードを試験中に部品を1つ焦がしてしまった。交換部品を探しインターネットを調べると、当時の状況に愕然とした。SeidleはSignal v. Noiseのインタビューでこう振り返っている。

「オンライン電子部品ストアの状況はひどかった。注文しようとしているものの写真を、とにかく1枚でも見たかった。後ろ側の写真すら載っていなかった。でも、この苛立ちにチャンスがあるという確信が湧いてきた」

写真があり、データシートへのリンクがあり、使い方のチュートリアルが添えられた電子部品販売サイト——そういうものが存在しないなら、自分で作ればいい。Seidleは2002年末から大学の寮室でSparkFunの活動を開始し、2003年に法人化した。当初はベッドルームや地下室での運営で、最初の3年は文字通り個人事業だった。

SparkFun設立の動機は単純だ。「電子工作は難しくない。みんなが細部に躓くだけだ。大きな夢を持って、細部はSparkFunに任せてくれれば良い」というのが、の一貫した姿勢だった。オープンソースハードウェア(OSHW)を徹底的に信奉し、すべての設計ファイルをCC BY-SAで公開したため、競合他社に回路をコピーされることも少なくなかったが、は「コピーされる圧力こそが、よりリーンな会社を作る力になる」と語った。

SparkFunが自社製品の試作基板を製造する際、パネルに余白が生じるようになった。その余白を外部の個人や企業に安く提供するサービスとして、SeidleはSparkFunの姉妹会社「BatchPCB」を立ち上げた。ホビイスト・学生・エンジニアへの小ロットPCB製造の窓口として機能した。


パネル化の発見——「余白」を売るビジネスモデル

製造業者が基板を作るとき、1枚の大きなパネル(製造板)にまとめて焼き付け、後で個別の基板に切り分けるのが効率的だ。問題は、そのパネルに空きスペースが生まれやすいことだった。企業が発注する試作基板がパネル全体を埋めることはなく、その「余白」は無駄になっていた。

発想の転換はシンプルだった。その余白に、別の人の設計を詰め込めばいい。製造コストを複数の注文者で按分すれば、1人あたりの費用は劇的に下がる。

SparkFunが後に明かしているように、BatchPCBは「ユーザーが設計を提出し、1枚のパネルにまとめ、パネルごと発注し、切り分けて送る。これが数の力をPCB製造に応用するアイデアだった」。BatchPCBが連携したのはGold Phoenixというカナダ系中国企業で、1平方インチあたり2.50ドル(約400円)という価格体系を採用した。設計ファイルを送るだけで製造が始まるシンプルさは評価されたが、バッチに入るまでに数週間を要することもあった。

BatchPCBはその後、2013年5月1日にSparkFunからOSH Parkへ正式に売却された。SparkFunは公式ブログでその経緯をこう説明している。

「SparkFun本体が想定をはるかに超えて成長した結果、BatchPCBはSparkFunの陰に置かれる存在(second fiddle)になってしまった。BatchPCBをきちんと育てるには、そこに専念できる買い手に委ねるしかないと判断した。OSH Parkは理念が近く、BatchPCBを成長させるためのインフラと経験を持っていた」

OSH Parkのトレードマークである紫色の基板(画像出典元:OSH Park)

Laenの技術的挑戦——システム管理者がPCBサービスを自動化するまで

BatchPCBと並行して、コミュニティ主導のアプローチもあった。このサービスの立役者は、本業はシステム管理者(sysadmin)というLaen(James Neal)だ。

Laen(James Neal / 画像出典元:element 14)

Laenはポートランドのハードウェア愛好家グループ「Dorkbot PDX」の常連メンバーだった。グループは月に2回集まり、電子工作や各種プロジェクトを共有していた。あるときは「Eagle CADを使ったPCB設計」の講習会を開き、参加者たちがそれぞれ設計した基板を持ち寄る仕組みを思いついた。個別に工場へ発注すれば1枚あたりの価格は高い。しかし複数のメンバーの設計を1枚のパネルにまとめて発注すれば、大幅に安くなる。Laenはelement14のインタビューでこう語っている。「OSH Park以前は、工場へ直接持ち込むか、中国のバッチサービスを使うかしかなかった。工場へ直接なら、5平方インチ使っても300平方インチ使っても1パネル分の費用を払わされた。私の目標は、基板が届く日付を事前に確定させ、設計が失敗しても大金を失わない仕組みを作ることだった」

2009年12月、最初のDorkbot PDX Board Orderが発送された。

当初は2ヶ月に1回のペースだった。コミュニティ内だけでは1枚のパネルを埋めるだけの量に届かなかったためだ。2010年初頭、Laenはポートランド外部からの注文も受け付け始め、注文は増えた。それに伴い頻度は月1回、隔週、そして1年後には週1回へと短縮された。

だが週1回になると、Laenの作業は限界に近づいた。各ユーザーから届くガーバーファイルを手作業で確認し、パネル上の配置を考え、無駄なスペースが出ないよう詰め込む——この「パネリゼーション」作業に、毎晩2〜4時間を費やすようになった。

ここで、システム管理者としての技能が活きた。同インタビューでLaenはこう明かしている。

「開発作業が山ほどあったよ。Rubyのコード、既存のPythonコードへの大量の改変、大量のシェルスクリプト、そして注文を受け付ける美しいウェブインターフェース。アーキテクチャとしては、注文と決済を受け付けて私に通知するウェブサイトがあり、そこから私のスクリプト群に繋がる。スクリプトは全注文をパネル上に最適配置し、製造の懸念事項を考慮しながら工場へ送り出す」。

パネリゼーション問題の核心は、コンピュータサイエンスの「ナップサック問題」と同じ構造だ。限られたパネルスペースに、様々なサイズの基板をどう詰め込めば最も効率的か——これは計算量が多い組み合わせ最適化問題で、大規模になると手作業や単純なアルゴリズムでは対応できなくなる。Laenはこれを独自のスクリプトで解き、パネルの充填効率を高めた。それが価格を下げ、さらに多くの注文を呼ぶ好循環を生んだ。

このサービスは2009年12月の最初の発送から約5ヶ月後にOSH Park(Open Source Hardware Park)として正式に独立した。Make:誌のインタビューでLaenはその理念を語っている。

「私がやったのは、基板を作ることでコストをかけずに済む仕組みを作ること。設計が失敗しても多くを失わずに済む環境があれば、人々はもっとたくさんの素晴らしいものを作る」

OSH Parkが選んだのはアメリカ国内の製造工場のみで、倫理的・環境的・物流的な理由からその方針を維持している。そのトレードマークである鮮やかな紫色のソルダーマスクは、コミュニティでは一目でOSH Parkの基板と分かるものとして知られるようになった。2層基板3枚で7.75ドル(約1200円)という価格は、中国サービスには及ばないが、国内製造の品質と確定した納期を重視するユーザーに支持され続けている。


中国で「同時多発」したPCBサービス——その構造的理由

2006年から2015年にかけて、中国ではJLCPCB、Seeed Studio、Elecrow、PCBWayといったオンラインPCBサービスが相次いで登場した。これは偶然の一致ではない。複数の構造的な条件が重なったタイミングだった。

第1の条件:WTO加盟後の製造能力の急膨張

中国は2001年にWTO(世界貿易機関)に加盟した。これを機に外国直接投資が加速し、多国籍企業が製造拠点を中国に移転した。Andwin Circuitsの産業分析レポートによると、2000年から2010年の中国のPCB産出額は年率20%以上の成長率(CAGR)を記録し、2006年には日本を抜いて世界最大のPCB生産国になった。大規模な製造能力が整備されていく過程で、工場側には「稼働率を上げるための小ロット顧客」が必要になった。

第2の条件:珠江デルタのサプライチェーン集積

深圳を中心とする珠江デルタには、PCB製造に必要なほぼすべての素材・設備・薬品が調達できるサプライヤーが集積した。銅張り積層板、プリプレグ(積層材料)、エッチング液、露光機、ドリリング機ーーこれらを域内でほぼ調達できるため、外部調達コストが極小化された。MITテクノロジーレビューが深圳生態系を分析した記事も指摘するとおり、珠江デルタでは「完全なネットワーク」の存在が製品開発サイクルを著しく短縮し、コストを下げた。

第3の条件:インターネットと国際配送の普及

2000年代後半には、DHL・FedExなどの国際宅配便が安定し、追跡可能な形で中国から個人宛に小荷物を届けられるようになった。Alipayなどのオンライン決済も整備された。製造能力と配送インフラが揃ったことで、「外国の個人から注文を取る」オンライン工場が現実的なビジネスになった。

第4の条件:製造工場出身の創業者が「外向き」に動き始めた

JLCPCB創業者の袁江涛のように、元エンジニアや製造現場出身者が「なぜ基板はこんなに高いのか」という問いから出発し、自動化と直販によって価格を引き下げるビジネスを構想するようになった。Seeed StudioのEric Panのように、ハードウェアMakerとしての経験を持つ創業者が「少量製造の壁を壊す」ことを明示的なミッションに掲げた例もある。中国国内の製造技術の底上げと、Maker文化の国際的な高まりの両方を見聞きした世代が、2005〜2015年にかけて創業の波を形成した。

これら4つの条件が同時に揃ったのが、ちょうど2006〜2015年の深圳だった。偶然ではなく、構造的に「そのタイミングしかなかった」とも言える。

嘉立創(JLCPCB)の登場

JLCPCB 自社工場(画像出典元:JLCPCB)

JLCPCB(Shenzhen JiaLiChuang Technology Co., Ltd.)は2006年、袁江涛(Yuan Jiangtao)によって深圳で設立された。袁は元電子エンジニアで、小さなPCB工場で設計・開発・テストに従事していた。JLCPCBは公式PR文で創業の原点をこう伝えている。「良質・廉価な基板を手に入れられないエンジニアの悔しさを、袁は身をもって知っていた。その後悔を次の世代のエンジニアに繰り返させたくない」。

袁の経営哲学は明快だ。電子工作チュートリアルサイト「Electronic Clinic」に掲載された袁の発言によれば、「PCB業界の利益は非常に透明だ。低価格・高品質・短納期。本質的に矛盾している。この矛盾を解決する唯一の方法は、完全自動化工場による大量生産だ」としている。

JLCPCBは当初から国内市場向けに、数日から1週間のターンアラウンドで2層・多層PCBを提供していた。2009年にはメール注文を廃止してオンラインの顧客セルフサービスを導入し、2011年には注文アシスタントを整備した。現在の生産能力は月数十万平方メートル規模に達し、広東・江蘇・江西に5拠点、計1800エーカーの製造施設を持つ。

このスケールが「5枚2ドル」を支えている。膨大な注文量があれば、材料・設備・人件費を1枚当たりに換算したコストは極限まで下がる。さらに深圳には、電子部品の卸売り市場「華強北」を擁し、PCB製造に必要なあらゆる素材・機器・部品のサプライヤーが数十分以内に集積している。電子工作コミュニティでは「世界の電子部品の台所」とも呼ばれるこの集積が、安価な製造を可能にする産業インフラの土台だ。

Seeed Studio——深圳のメイカー拠点

Seeedの製造拠点の様子を収めた動画

Seeed Studioは2008年7月、Eric Pan(潘昊)がアパートの一室で電子部品の販売から立ち上げた。重慶大学で電気工学の学士号を取得後、Intelでチップセット製品エンジニアとして品質管理に従事。Pan自身は「Intelに13ヶ月勤めて疲れた後、北京で国際貿易の小さな会社に入ったが1年で閉鎖した」とし、その後独立して深圳で創業した。Make:誌のインタビュー(2016年12月)でPanは「中国での少量製造は困難だという認識を変えたい。ここ数年、中国での小ロット製造はどんどん容易になっている」と語っている。

Seeed Studioは小ロット製造の仲介と電子モジュールの販売を軸にしながら、2010年には旧オフィスを転用して深圳初のメイカースペース「Chaihuo Maker Space」を開設した。2012年には中国初のMaker Faireを開催し、Make:誌の報告によれば2014年大会には3万人が参加している。基板製造・PCBA組立サービスとしては「Seeed Fusion」ブランドを展開する。

PCBWay——杭州からの挑戦者

PCBWayは2014年、杭州(Hangzhou Linker Information Technology)で創業した。深圳という「ハードウェアの首都」から距離を置き、浙江省の製造・ネットビジネス文化を背景に国際市場を意識した展開を続けた。創業4周年のCEO書簡によれば、2018年時点で150カ国以上・25万ユーザーを持つに至り、同年には200万ドル(約3億2000万円)の表面処理設備と自動銅製造ラインを導入した。2019年にはフレキシブルPCB(FPC)とリジッドフレックス基板の製造も始め、現在は170カ国以上に出荷している。


EasyEDA——設計と製造の垂直統合

画像出典元:EasyEDA

JLCPCBのエコシステムを語るうえで外せないのが、EasyEDAだ。

2010年6月、Dillon HeとEric Cuiは自分たちのハードウェアプロジェクトに使えるEDAツール(電子回路の設計・検証・製造工程を自動化・効率化するソフトウェア)を探したが見つからず、自ら開発に着手した。目標は「プラットフォームに依存しない・無料で簡単に習得できること」。2013年8月にベータ版を公開し、2014年3月に正式ローンチした。

EasyEDAはブラウザ上で動作するため、インストールが不要だ。設計を完了したその画面から、ワンクリックでJLCPCBへの発注が完結する。EasyEDAは現在JLCPCBグループの一部門となっており※、設計・製造・部品調達(LCSC)が同じグループ企業の傘下に収まったことで、ユーザーは一切の外部連携なしに基板を作れるようになった。

Wikipediaによれば2015年に外部投資を受けたとされるが、JLCグループへの参加年の一次情報は確認できていない


KiCadとオープンソースEDA——無料設計環境の整備

画像出典元:KiCad

安価な製造サービスが普及しても、設計ソフトウェアが高価であれば個人には届かない。この問題を解いたのが、フランス発のソフトウェア「KiCad」だ。

KiCadは1992年、Jean-Pierre Charrasがグルノーブル工科大学(IUT de Grenoble)で学生向けツールとして、また自身のC++学習を兼ねて開発を始めた。名称はCharrasの友人の会社名の頭文字「Ki」と「Cad」を組み合わせたものだ。

2005年にWayne Stambaughがコントリビューターとして参加し、継続的な開発が続いていたKiCadに転機が訪れた。欧州原子核研究機構(CERN)のBE-CO-HT部門が、オープンハードウェアの推進という観点からKiCadへの開発リソース提供を決めた。Wayneは同インタビューで「2008年にCERNが参加した」と述べているが、CERNの記録では議論開始が2008年・参加決断が2011年とされており、一次情報間で食い違いがある。いずれにせよCERNは開発者を派遣し、プッシュ&シャブルーター(配線自動化機能)、GPU加速グラフィックエンジンなどを実装した。

CERNはKiCadへの関与をこう表現している。「KiCadはPCB設計においてGCCコンパイラがソフトウェアにしたことを実現できる。それは共有への人工的な障壁をなくし、設計・開発の知識が自由に流れるようにすることだ」。

2015年11月のKiCad 4.0.0リリース以降は毎年機能強化が続き、2019年11月にはLinux Foundationに参加している。GNU GPL v3ライセンスで公開されているKiCadは、現在ではホビイストから小規模企業まで幅広く使われる定番EDAになった。


サービスの棲み分け——中国・米・欧・日の現在地

安価・高速な中国サービスが市場を席巻するなか、各地域のサービスはどう棲み分けているのか。

中国(JLCPCB・PCBWay・Seeed Fusion):試作から量産までの低価格帯をカバー。「5枚2ドル」クラスのサービスが並立する。リードタイム(製造から納品まで)は通常3〜7日程度。SMT(表面実装)によるPCBAも提供する。

アメリカ(OSH Park):国内製造にこだわるOSH Parkは、「Made in USA」と品質の安定性を重視するユーザーに支持される。価格は中国サービスより高いが、北米圏のユーザーにとっては国内配送のスピードと環境への配慮を評価する需要がある。

ドイツ(Aisler)・ベルギー(Eurocircuits):欧州の製造サービスは、EUの環境規制(RoHSなど)への適合や、GDPR準拠のデータ管理、欧州内の物流網を強みにしている。産業用途や政府調達が絡む案件では、欧州製造を選ぶ理由が生まれる。

日本(P板.com):日本国内では、ピーバンドットコムが運営する「P板.com」が国内初期のプリント基板ネット通販サービスとして2003年に開始した。前身はインフロー(2002年4月創業)で、創業者の田坂正樹は1995年にミスミ(現ミスミグループ本社)に入社、BtoBカタログ通販の知見を得た後に独立した。ミスミ在籍中に半導体ECの新規事業を立ち上げたが会社都合で撤退し、そのビジネスの将来性を確信したことが独立・創業の契機になったとしている。

P板.comは2003年4月に本販売を開始し、2004年4月には無料パターン設計CAD「CADLUS X」のダウンロードを開始した。2004年11月には設計サービス、2005年12月には実装サービスを順次追加。2017年3月に東証マザーズに上場(現在は東証スタンダード市場と名証メイン市場に上場)。自社工場を持たないファブレス形態で、国内外約30社の提携工場を使うビジネスモデルを採り、顧客数は現在約2万社を超える

国内基板製造が選ばれる理由は価格ではなく、日本語対応のサポート、国内法規制(電気用品安全法など)への適合確認のしやすさ、また短納期対応と品質トレーサビリティだ。産業機器や医療機器など、製造プロセスの可視性が必要な分野では、国内製造の需要は根強い。


部品まで発注する時代——PCBAの普及

低価格・短納期をうたうJLCPCBのWebサイト

基板だけでなく、そこに部品まで実装した状態で届く「PCBA(Printed Circuit Board Assembly)」サービスの普及は、2010年代後半から加速した。

かつてPCBAは、設計→基板製造→部品調達→実装の各プロセスを別々の業者に依頼するか、自分ではんだ付けするしかなかった。部品調達と実装の手間を考えると、少量試作では自前のはんだ付けが現実的な選択肢だったが、QFNやBGAパッケージのような表面実装の小型・高密度部品は、工具を揃えてもはんだ付けが難しい。

JLCPCBはSMT※月産能力は数千万部品規模に達し、EasyEDA・LCSC(部品調達)と統合したエコシステムを通じて、設計から実装まで一気通貫での発注を提供している。

Surface Mount Technology:表面実装技術。基板の表面に直接部品を自動で貼り付けてはんだ付けする製造工程。従来の「穴に足を差し込む」スルーホール実装より小型・高密度で、スマートフォンなど現代の電子機器の大半がこの方式

数千万部品規模という能力がどれほどのものかを実感するために、比較対象を示す。日本の中堅EMS(Electronics Manufacturing Services:電子機器製造受託)工場は、年間数億部品クラスが「大規模」に分類される。月換算すれば1000万部品を超えれば大手水準だ。スマートフォン1台に搭載される部品点数はおよそ500〜800点と言われるが、仮に3000万部品であれば約4〜6万台分の組み立てに相当する規模感だ。JLCPCBがこれを「個人からの少量発注を受け付けるサービス」として提供している点が異色で、1枚からの試作発注にも同じ自動実装ラインを使う仕組みが価格競争力の核心になっている。

画像出典元:NOTHING

Seeed Fusion、PCBWayもPCBAサービスを提供する。Makerにとって、自分ではんだ付けが難しいBGA(Ball Grid Array:底面にボール状のはんだが並ぶICパッケージ。超高密度で熱風リフローが必要)や0402サイズ(1.0mm×0.5mmの微細チップ部品)も、PCBAなら扱える。試作品のロット数が数十枚程度でも、PCBAの発注が現実的な選択肢になった。

JLCPCBグループはさらに3DプリントサービスのJLC3DP、CNC加工のJLCCNC、機械部品のJLCMCも傘下に持つ。電子基板から筐体まで、ものづくりの工程全体をカバーする総合製造プラットフォームへの志向は、2020年代に入って明確になった。2022年9月には嘉立創グループがSeries D相当として9億元(約210億円)のエクイティ調達を行い、さらなる設備投資と国際展開を進めている。


20年で変わったこと、変わらないこと

グローバルなPCB市場規模は2024年時点で700〜900億ドル規模に達する(調査機関により差異がある)。中国は世界最大のPCB生産拠点で、全世界の生産能力の50〜60%を占めるとされる。

20年前と比べて変わったことを整理すると、「誰でも設計できる」「誰でも発注できる」「誰でも小ロットを現実的な価格で作れる」という3つの条件が同時に整った点が大きい。KiCadやEasyEDAが無料の設計環境を、JLCPCBやPCBWayが低価格製造を、オンラインの発注フローが手続きの簡素化をそれぞれ担い、これらが組み合わさることで、技術的な敷居は劇的に下がった。製造サービスの競争が激化したことで価格は引き続き下がる方向に動いており、2020年代後半もこの傾向は続くと見られている。

同時に変わっていないこともある。基板設計の知識そのものは、ツールがどれだけ便利になっても学習コストがかかる。配線ルールの理解、インピーダンス整合(信号が正確に伝わるよう配線の電気的特性を揃えること)、電磁ノイズへの対策、熱設計——これらは製造サービスが安くなっても、設計者が引き受けなければならない責任だ。「発注できる」ことと「良い基板を設計できる」ことは別の問題であり、設計のリテラシーはこれからも電子工作を深く楽しむための核心になる。

では、ソフトウェア開発で「バイブコーディング」(AIに自然言語で要望を伝えるだけでコードを生成させる手法)が広まりつつあるように、基板設計の知識もAIが代替する方向に進むのだろうか。

2025年1月に米国で開催された業界カンファレンス「DesignCon 2025」では、Siemens、Cadence、Zuken、Samtecの技術責任者らが集まってAIとPCB設計の関係を議論した。Zukenのまとめによれば、パネルの結論は「AIは強力な補完ツールであるが、エンジニアの専門知識を代替するものではない」という点で一致した。信号品質(シグナルインテグリティ)や電源供給設計(パワーインテグリティ)のような、部品間の非線形な相互作用が支配する領域では、エンジニアの判断は依然として不可欠だとした。

実際、AIのPCB設計への応用は、全体の「自動設計」よりも「部分的な最適化支援」の形で進んでいる。CadenceやSiemens EDAなどの大手EDAベンダーは、部品配置の提案、配線ルートの最適化、設計ルール違反の早期発見といった機能にAIを組み込んでいる。Bloomberg Intelligenceは2024〜2030年のEDA市場予測として、AIが60億ドル(約9540億円)の付加価値をもたらし市場規模が239億ドル(約3兆8000億円)に成長するとの見方を示している。

また、Quilterのような新興企業は「物理法則に基づくAI自律レイアウト」を掲げ、「数週間かかる作業を数時間に」と訴えている。Diodeというスタートアップは、自然言語の要件記述を回路図とレイアウトに変換するアプローチに取り組んでいる。

DiodeのWebサイト。同社はシリーズAで1140万ドル(17億円)を調達している。

ただし、ソフトウェアとハードウェアには根本的な違いがある。コードのバグは修正して再実行できるが、基板の設計ミスは製造し直すまで確認できない。電子設計専門誌Printed Circuit Design & Fabが指摘するように、「AIは細かく時間のかかる作業を得意とし、設計者がより革新的な側面に集中できるようにする。AIはエンジニアの能力を高めるが、仕事を奪うのではない」

またMacroFabの分析によれば、AIツールは訓練データが十分でない複雑・新規な設計には対応できず、なぜその配置を選んだかを説明しないため、エンジニアがエラーを特定・修正できる能力を維持することが依然として必要とされる。

電子工作コミュニティにも変化の兆しはある。KiCadへのAIエージェント接続を試みるオープンソースプロジェクトがすでに存在し、「ChatGPTやClaudeにKiCadを操作させてPCBを設計させる」という実験が行われている。こうした動きを取材したCELUS社のレポートは「自然言語による回路図入力やPCB配線の可能性はある。ただし完成度と信頼性はまだ不十分で、やるべきことは多い」と評した。

現時点での整理として——AIはPCB設計の「補助」「高速化」「障壁の低下」をもたらしつつあるが、設計意図の決定、電気的・物理的な制約の判断、最終的な品質保証はエンジニアの責任として残る。設計知識がゼロでも良い基板が作れる時代は、少なくとも現在の地平には見えていない。

「発注できる」環境が整ったことで、電子回路の設計から試作・量産の検討まで、かつては企業の研究開発部門にしかできなかったプロセスが、個人や小規模チームの手の届く場所にある。Raspberry PiやArduinoで電子工作を覚えた世代が独自の回路設計に踏み込み、クラウドファンディングで量産化する流れは、この製造環境の変化なしには成立しなかった。

もう一つの変化は、失敗のコストが下がったことだ。試作1枚が数万円だった時代には、設計に誤りがあれば修正の費用がそのままかかった。2ドルで5枚作れるなら、設計を試し、修正し、また試すサイクルを回せる。試行錯誤のコストが下がることは、学習のスピードを上げ、より多くの人が設計の経験を積む環境をつくる。

2002年に深圳で「高価なPCBに悔しさを覚えた」男性が会社を起こした。2002年末にコロラドの寮室で「部品の写真すら載っていない」インターネットに憤った若者が行動を起こした。2009年、ポートランドのMakerが仲間たちのために注文をまとめ、Rubyとシェルスクリプトで自動化した。機械加工部品メーカーに勤める日本人が受注生産品のネット通販に可能性を見た。それぞれの場所で、それぞれの動機から始まった試みが積み重なり、現在の環境を作っている。

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越智 岳人

FabScene編集長。大学卒業後、複数の業界でデジタルマーケティングに携わる。2013年当時に所属していた会社でwebメディア「fabcross」の設立に参画。サイト運営と並行して国内外のハードウェア・スタートアップやメイカースペース事業者、サプライチェーン関係者との取材を重ねるようになる。 2017年に独立、2021年にシンツウシン株式会社を設立。編集者・ライターとして複数のオンラインメディアに寄稿するほか、企業のPR・事業開発コンサルティングやスタートアップ支援事業に携わる。 2025年にFabSceneを設立。趣味は365日働ける身体作りと平日昼間の映画鑑賞。