
スマートフォンもパソコンも、その心臓部に搭載されているCPUがどう動いているのか、ほとんどの人は知らない。プログラミング教育が義務化され、ソフトウェアエンジニアの需要が高まる一方で、ハードウェアの仕組みはブラックボックスのままだ。
そのブラックボックスを、ロジックICと呼ばれる電子部品だけを積み重ねて解き明かす学習キット「TTM3」が、2026年3月に発売された。開発したのは、愛知県在住のハードウェアエンジニア・檀上京之介氏だ。製造・流通はビット・トレード・ワンが担い、日経BPから連動書籍「創って学ぶCPUの基本」も同時刊行された。FabSceneは発売後まもなく、開発者の檀上氏、製造・流通を担ったビット・トレード・ワンの阿部行成氏、書籍編集を担当した日経BPの田島篤氏の3人を取材した。
ロジックICだけで組んだ「本物のCPU」——ブラックボックスは一つもない

TTM3(Tick Tock Machine 3bit)は、マイコンやFPGAといった高集積デバイスを一切使わず、ANDやORといった単純な論理演算を担うロジックICだけを組み合わせてCPUを構成する、はんだ付け組み立てキットだ。「Tick Tock」はクロック信号が刻むリズムを表しており、製品名そのものがCPUの動作原理を示している。
3bitのCPUとして、演算数(A)、被演算数(B)、出力(C)の3つのレジスタとプログラムカウンタを持ち、NOP・ADD・XOR・AND・OR・IN・OUT・JMPの8命令を実行できる。
基板サイズは170×120mmで、電源は5V USB給電。動作を1クロックずつ手動で追える手動クロックモードと、最大約300Hzまで可変できる自動クロックモードを切り替えられる。組み立て時間は3〜4時間を想定しており、完成した基板上の40個以上のLEDが内部信号を可視化する。出力はRGB-LEDで、7色の発光パターンをプログラムで自由に制御できる。市場想定売価はキット単体が1万5800円(税抜)だ。
「会社員とMakerを両立」ではない。どちらも同じ、ハードウェアエンジニアの仕事だ
取材冒頭、檀上氏に本業とサークル活動を並走させる動機を尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「別なことをやっているという認識が薄くて。サラリーマンである前に、自分はハードウェアエンジニアだと思っています。会社でやっていることも電子回路設計ですし、サークル活動でやっていることも電子回路に関連していますし、常にハードウェアエンジニアとしての活動姿勢でやっているというのが前提としてあります」

檀上氏はブラザー工業でFPGAやデジタル回路の設計を担う傍ら、個人のものづくりサークル「みやこ電子工房」を主宰している。二足のわらじというよりも、彼の中では一本の道が続いている。
その道へ踏み出したのは大学3年生のときだった。きっかけは漫画だったという。
「ハルロックという電子工作漫画があって、その中でMaker Faireに出展する回があるんですよ。当時は現実にある場所だと知らなかったので漫画の中の創作かと思っていたんですけど、本当にあるんだってわかって、見学に行きました。こういう世界があるんだと感動しちゃいました。自分のハードウェアを売っている方もいると知って、やってみたいと思ったんですよ。ハルロックでも自作ハードウェアが売れて感涙する場面にも大きな影響を受けました」
就職よりも前に、同人ハードウェアとして自作製品を販売し、収入を得た経験が大きかったという。「自分の作ったものにお金を払ってくれる、価値をつけてくれる人が目の前にいる。それが感動でしたね」
ロボコンのマイコンを使いながら、ずっと気になっていたこと
名古屋工業大学へ進んだ後もCPU自作への道を切り開いたのは、同じ知的好奇心だった。大学ではNHK学生ロボコンに参加し、ロボットの制御回路を担当していた。ところがそこに一つの疑問が積み重なっていく。
「マイコンの使い方を先輩に教えてもらって、基板の作り方もわかったんですけど、マイコンの中の仕組みがわからないまま使っていたんですよね。マイコンってどうやって動いているんだろう、から始まりまして。部室に『CPUの創りかた』という本が置いてあって、ちょうどよいと手に取ってみたら、とんでもなく面白くて自分でも設計したいと思ったんです」
専攻は機能電子で、半導体材料を扱う化学系だったという。CPU設計は情報系の領域であり、学問的には距離がある。「同じハードウェアでも、材料を扱う機能電子の研究と論理回路を扱うCPU設計では工学の中でもちょっと遠いんですが、仕組みを知りたいというところでは近い」——その言葉の通り、こうして生まれた自作CPUの1作目・2作目を経て、TTM3は3作目にあたる。
「FPGAを使ったらいいじゃん」はエンジニアの視点——ほとんどの人には意味がわからない
TTM3の設計で最も問われるのが、FPGAを使わずにロジックICだけで構成するという判断だ。エンジニアの視点では、FPGAを使えばはるかに効率よく同等の機能を実現できる。
「FPGAを使ったらいいじゃんというのは、エンジニアの視点なんですよ。FPGAって大抵の人にはわからなくて何のこっちゃなんですよ。ロジックICの方が電源を入れれば動くので理解がしやすい。自分も使いますけど、FPGAは中でどういうロジックが組まれているのかよくわからない。コード上ではわかるんですけど、中でどう組んで動いているのかは見えない」
FPGAの設計では通常、RTL(レジスタ転送レベル)と呼ばれる抽象度の高い記述を使う。ビルドすると、ツールが自動的にゲートレベルの回路へ変換してくれる仕組みだ。コード上では動作を把握できても、実際にどの論理ゲートがどう組み合わさって動いているかは、ツールの内側に隠れてしまう。ロジックICならその心配がない。その構造を突き詰めればトランジスタで再現することができ、構造がシンプルで小規模だからこそ、CPU内部を流れる全ての信号をLEDで引き出すこともできる。基板上に並ぶ黄・赤・緑のLEDは、それぞれレジスタの値・制御信号・その他の信号を示しており、動かしながら「中身が見える」設計は最初から決まっていたものだという。CPUの外側だけでなく、内側まで見えることがTTM3の根幹にある。
出力をRGB-LEDにするというアイデアが生まれたのは、設計の途中だったという。
「先にシンプルなCPUを作ろうというのがあって、シンプルすぎるとCPUとして面白くもないので、複雑すぎず成り立ちつつ、極限までシンプルにするという考えで設計していました。出力を何にするかを考えたとき、7セグメントLEDが最初に思いついたんですけど、それだとちょっと複雑かなと思って。そこで思いついたのが、RGB-LEDの点灯パターンを切り替えるというアイデアです。そこから3bitにもなりましたし」
赤・緑・青の3色それぞれに1bitずつ割り当てると、3bitで7色の発光が制御できる。シンプルな出力を探す中でRGB-LEDに行き着き、そこからbit幅が3に決まった。
手動クロックで1ステップずつ動作を確認できる機能も、TTM3の学習ツールとしての核心を担っている。これは、檀上氏自身の原体験から来ている。
「大学の情報の授業でTK-80という昔のマイコンの学習キットのシミュレーターがあって、ワンクロックずつ動かすことができた。自分でそうやって1クロックずつ動かして動作を理解するという経験があります。自分が学んできた学習現場でそうやってやってきたので、ワンクロックずつ動かすというのは確実に入れようと思っていましたね」
「箱詰めだけで時間がなくなる」——TTM8の経験が、TTM3を生んだ

TTM3の前身となる8bit CPU学習キット「TTM8」を、檀上氏はかつて一人で手がけていた。部品の調達から箱詰め、販売まで全て自前で回していたが、その限界はすぐに来た。
「箱詰めするだけで時間がなくなっていくんですよね。製造とかやってくれる人いないかなと思いつつ活動していました」
2022年頃、ビット・トレード・ワンと出会い、TTM8を製品として製造・販売する体制が整った。その後、顧客の声が檀上氏を動かす。
「TTM8のお客さんから、もっと簡単なのはないかという要望や、はんだ付けが多くて大変だという声を聞いていました。簡単版が要るなということになって、TTM3を考えているんですが、阿部さんどうですかと私から提案させていただきました」
「僕個人的にもCPUが好きだったので、よりシンプルな形で出したいという話だったんでそれはぜひやりたいという感じでした」と、阿部氏は振り返る。基板の設計・部品配置・回路図は全て檀上氏が手がけ、ビット・トレード・ワンが量産体制へ乗せた形だ。
日経BPから同時刊行された書籍については、ビット・トレード・ワンが出版社への橋渡し役を担ったという。編集を担当した田島氏は、企画のファーストインプレッションを「面白くて役立ちそう、という第一印象でした。実物を作ることができるというのは非常に有意義であろうと」と語り、「ソフトウェアエンジニアの方にもぜひ読んでほしい内容で、仕組みを知っているかどうかで、マイコンの使いこなし方は大きく変わってくるはずです」と続けた。
1万円台で届けるために、部品は複数の調達先からかき集める
1万5800円(税抜)という価格の設定は、一見するとシンプルに見えてそうではない。
「ロジックICが手に入りづらくなってきていて値段も上がっています。なるべく多くの方に届けたいという思いもありますし、学校系の流通にちゃんと載せられるような価格にするためには、ある程度マージンも取らなきゃいけない。コストが上がっている中でなるべく安く、でもちゃんといろんなところで売れるようにということで設定しました」——価格設定の苦労を、阿部氏はそう打ち明ける。
ロジックICは複数の調達先から集める必要があり、なかでもメモリの確保が現在も課題のひとつだという。檀上氏が一人でやっていた頃は、名古屋の電子部品街「大須」で買い集めることもあったと明かした。
TTM3を届けたい相手として、檀上氏が挙げたのは「これから勉強しようと思っている学生」だ。ただしその先には、明確なメッセージがある。
「論理回路を学んでほしいんですよ。論理回路をやると考え方が全然違う。プログラミングは上から処理が走っていくという考え方ですが、論理回路は全く違う考え方で作るんです。プログラミングの方が得意な処理があるし、ハードウェアの論理回路でやった方が得意なことがある。その両方を知っていないと、何かやりたいというときに分担ができない」
その両方を一つの題材で学べるのがCPUだという。「CPUってソフトウェアとハードウェアのいいところを両方学べる題材なんですよね」
阿部氏も同じ視点から推す。「例えばプログラムだったら、コンパイラがどう動いているかとか、OSがどう動いているかとか、1個下のレイヤーまで知れると、プログラムというものに対する理解が深まる。マイコンを使っている方にとって、マイコンがどういうふうに動いているかという一番基礎的なところを理解するためにすごく良いキットになっていると思います」
「最近はAIや情報系が優遇されていますが、電気を皆に学んでほしい。電気は一番裏方で、一般のお客さんは基板なんて見ないし、CPUの構造も知らない。でもそれはエンジニア冥利に尽きることでもある」——この言葉には、ものづくりの現場に立つエンジニアとしての矜持が滲む。
近年急速に普及する生成AIについても、否定より深化を促す立場だ。「AIはどんどん使っていけばいいと思っています。ただ、作ってもらうものの仕組みはわかっておいた方がいい。出力してきたものの正しさもわかりませんから」
実は高等学校の教員免許を持つ檀上氏は「これを機にワークショップもやってみたい」とも語った。
白い基板を選んだのも、トグルスイッチにこだわったのも、「かっこいいから」

製品として見たときのこだわりについても聞いた。
「かっこいいって言ってもらえることが一番嬉しいです。ちょっとかっこよくしようと思って作っているので。デロリアンみたいな、ピカピカ光ってかっこいいと思ってもらえるところが良い。今回基板の色を白にしたのも、LEDが一番映えるかなと思って選びました」
操作系のトグルスイッチも、最初はコスト面からディップスイッチを想定していた。しかし試作を触ったユーザーから「操作しづらい」という声が上がり、コストアップを承知でトグルスイッチに切り替えた。「それでも設置すべきかなということで、あえて使っています」
回路図と設計データは全てオープンソースとして公開されており、TTM3は「うちのキットを買わなくても同じものが作れる」キットでもある。みやこ電子工房という名前は、檀上氏の名前の「京」の字にある「都」から取ったもので、「多くの人が集まって栄えていく場所」という意味を込めているという。自分で作る時間があるユーザーは自作を、そうではなければビット・トレード・ワンのキットを——そんな余裕のある設計思想が、TTM3の根底に流れている。
関連情報
創って学ぶCPUの基本 3bitプロセッサを設計しながらゼロから仕組みを理解する(日経BP)

