
遠く離れた場所の温度や湿度を、手元のスマホでリアルタイムに確認する。異常があればすぐに通知が届く──IoTの典型的なユースケースだが、市販の農業用システムは数十万円が当たり前の世界だ。初期費用約2万円、月々の通信費は数百円。Raspberry Piとセンサーを組み合わせたDIYシステムが、その常識を塗り替えつつある。
農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)東北農業研究センター 農業放射線研究センターが2021年に公開した「通い農業※支援システム」の製作マニュアルがその起点だ。
※農地と自宅が離れた状態で農業を営むこと
Seeed製のマイコン「Wio Node」と各種センサー、そしてRaspberry Piとメッセージアプリを組み合わせ、農業現場の環境を遠隔で計測・通知するためのDIYシステムだ。

開発のきっかけは、東日本大震災の影響で農地から離れて暮らさざるを得なかった農家のために、低コストで実用的な見守り手段を提供すること。しかし、WebサイトやGitHubでの情報公開、生産者コミュニティでの勉強会やワークショップを通じ、その輪は今、被災地を超えて全国へと広がり始めている。
システムを自作するメリットは、単に安価であることだけではない。中身の見えない市販品とは違い、自ら手を動かして仕組みを理解することで、修理やメンテナンス、さらには拡張までをコントロールできることにある。また、このシステムを介して農家同士が学び合うプロセスは、共通課題に取り組むための新しいコミュニティの形にもなっている。
震災支援という切実なニーズから生まれたシステムが、それぞれの現場で独自の進化を遂げ、芽吹き始めている。その開発を担当した農研機構の担当者と、活用している生産者たちに話を聞いた。
Wio Node+Raspberry Pi、Grove規格で「非エンジニアでも組める」構成に

「通い農業支援システム」の構成は明快だ。ESP-WROOM-02を搭載した小型Wi-Fi開発ボード「Wio Node」にGrove規格のセンサーを接続し、ビニールハウスなどに設置。取得した温度や湿度のデータはAPIサーバー(Wioサーバー)を経由して、自宅や事務所に置いたRaspberry Piへ転送される。Raspberry Pi側では受け取ったデータをプログラムで処理し、リクエストに応じた通知や異常値のアラートを、Discordなどのチャットアプリを介して生産者に届ける仕組みだ。

初期費用は、主要パーツを揃えて2万円程度(2021年マニュアル公開時)。月々の通信費も格安SIMの利用で数百円から約1000円に抑えられる。既存の農業用IoT機器は数十万円規模のものもあり、単純な機能比較はできないものの、その低コストさが際立つ。しかし、開発を担当した農研機構の山下善道氏がこの構成に辿り着いた理由は、単なる安さだけではない。
山下氏「新規就農者もいる中で、離れた場所にある農地の状況を低コストに確認できる方法を探していました。市販品は高価なものが多く、さらに故障時もメーカー修理を待つことが一般的です。しかしDIYなら、壊れたパーツを突き止め、自分で素早く交換できます。システムをブラックボックスにしないことで、導入時だけでなく、その後のメンテナンスまで自分たちで管理できる。それが手作りする大きなメリットです」
Wio NodeとRaspberry Piという組み合わせは、APIの扱いやすさやハードウェアの取り回しを考慮して選ばれた。この技術選定には、農業現場という過酷な環境での運用を見据えた合理的な判断がある。

山下氏「プログラミングの手間を減らすため、専用のスマートフォンアプリがあり、公式のWeb APIも充実しているWio Nodeを選択しました。Wio NodeはAPI経由で遠隔からデータを取得できますが、それだけでは都度手動で確認する使い方が中心になります。そこで、見回り支援に必要な定期的なデータ取得や通知を自動化できるよう、Raspberry Pi側で動かす配布プログラムを用意しました。
また、導入時に農家さんが戸惑いやすいのがネットワーク構成です。そこで、ハウス側には計測に特化した安価なWio Nodeだけを置き、サーバーの役割を果たすRaspberry Piは別の場所に置くという役割分担を明確にしました。
DIYの遠隔監視システムでは、センサーや通信機器を自分でつなぐ必要がありますが、そこではんだ付けや複雑な配線が必要になると、非エンジニアには導入しにくくなります。Wio NodeとGrove規格を採用したのは、その点をできるだけ簡単にするためです。コネクタを差し込んで接続できるため、電子工作の経験が少ない農家さんでも取り組みやすい構成になります」

水や風、砂埃などにさらされる農地では、ハードウェアの防護も重要なポイントだ。農研機構のマニュアルでは、入手しやすい市販品を活用し、安価に安全を保つための工夫も紹介されている。
農研機構はこうしたマニュアルやソースコードを公開するだけでなく、ワークショップ形式のハンズオンも継続的に開催してきた。完成品を配布するのではなく、農家自身が仕組みを理解し、自ら運用できる形にしたことが、その後の粘り強い広がりを支えている。
霜が降りそうな夜、30分おきのパトロールから解放された
本システムが主に想定しているのは、温度と湿度の計測だ。一見シンプルな項目だが、農業の現場では、この数値をリアルタイムで把握できるかどうかが収穫の成否を分ける。桃などの果樹を手がける北條仁志氏は、導入前の苦労をこう振り返る。
北條氏「果物は『霜』にとても弱く、芽や果実に当たると一度でダメになってしまいます。霜が降りそうな夜は一晩中、30分おきに外へ出て温度計を確認するパトロールが必要でした。システムの導入以前は『一晩中ハウスに張り付くか、諦めて寝るか』の二択で、心の休まらない夜を過ごしていました」
農地と自宅が離れた、通い農業だからこその厳しい状況。市販の見守りシステムを見積もったが、数百万円という価格に新規就農の身では手が出せなかったという。そんな時、農研機構のワークショップでこのシステムに出会い、自身の農場に導入した。
北條氏「たとえば深夜、スマホに『設定温度を下回りました』と通知が来たら、そこから現場へ行き、火を焚くなどの対策ができるようになりました。ふと不安になっても、布団の中でスマホを見て『まだ大丈夫だ』と確認できればまた眠れる。この精神的なゆとりに助けられています」


北條氏らが所属する「SAF会(白河農業友の会)」は、福島県で農業に取り組む若手農家のグループだ。2021年に農研機構がマニュアルを公開する以前は、対面での販売イベントなどが活動の中心だったが、コロナ禍で活動が制限される中、次なる一手として農業のデジタル化を模索していた折に本システムの公開が重なった。
同じくSAF会のメンバーである椎名和馬氏も、情報の可視化がもたらすメリットを実感している。
椎名氏「きゅうりのハウス栽培に取り組む際、環境変化による病害の予測が難しく苦労していました。システム導入後は、データに基づいた客観的な情報が手に入るようになり、水やりや防除のタイミングを的確に判断でき、結果として収量の向上にもつながっています。現場に行かなくても変化がわかるので、無駄な移動コストもなくなりました」
さらに椎名氏は、データの可視化が、地域や家族間での人間関係の改善にもつながったと語る。

椎名氏「若手農家は地元の役職などを任されることも多く、会合などで畑を離れがちです。そんな時も、手元の数値を見て家族に『今、温度が上がっているからハウスの窓を開けておいて』など的確にお願いできるようになりました。これまでは自宅と農場の温度感のズレから『言った・言わない』のすれ違いもあったのですが、それも解消されました。畑に縛られる感覚が、少しずつ軽くなっている実感があります」
北條氏は「設定を工夫するうちに、今ではプログラミングが趣味のようになりました」と語る。椎名氏もまた、通い農業支援システムを足がかりに、独自の技術開発にも着手しているという。元がシンプルだからこそ、その後の発展につながる「入り口」の役割を果たしている。それこそが、開発者である山下氏の狙いでもあった。
LINE Notify終了をDiscordへの移行勉強会で乗り越えた

システムの導入によるメリットは、個々の農家の効率化だけにとどまらない。自分たちで組み立てる必要があるからこそ、それを共に乗り越えるプロセスが、コミュニティを深める機能も果たしていた。現在、SAF会の会長を務める塩田喜徳氏は、その実感をこう語る。
塩田氏「システムの導入を始めたのは、コロナ禍で対面で集まる機会が減り、自分たちに何ができるか模索していた時期でした。そんな時、メンバー間の共通の話題として浮かび上がったのがこのシステムでした。福島県県南農林事務所主催で農研機構が講師を務めたスマート農業セミナーでのワークショップに、有志が参加したのをきっかけにSAF会内でも勉強会を開き、山下さんを招くなどして実装を進めていきました。
面白いのは、メンバーによって作物が違うため、テクノロジーへの接し方もさまざまだったことです。育苗シーズンに集中したい人もいれば、冬場の霜対策の時期だけ動かしたい人もいる。『温度を知りたい』というニーズは共通していても、必要なタイミングは人それぞれ。個別の要望に合わせ、必要な時だけ運用できる自由度の高さは、結果として運用コストの削減にもつながりました」

運用開始から3年ほど経つが、大きなトラブルなく使い続けられている背景には、コミュニティによる「知恵の共有」がある。象徴的だったのは、通知機能として利用していたLINE Notifyのサービス終了への対応だ。
外部サービスの仕様変更は、自作システムにとって一つの転換点だ。しかしSAF会のメンバーは、農研機構が公開した最新のマニュアルを手に、メンバー同士で「Discordへの移行勉強会」を開催。この変化を前向きに乗り越えた。誰かに任せきりにするのではなく、自分たちで仕組みを理解しているからこそ、新しいツールへも柔軟に乗り換えていける。まさに「道具を自分たちの手に取り戻している」姿といえるだろう。
さらに、塩田氏が見据えるのは、技術をきっかけにしたコミュニティの広がりや世代間の交流だ。

塩田氏「SAF会では現在、メンバー9名のうち7名が通い農業支援システムを利用しています。地元のベテラン農家さんにも紹介していますが、やはり設定作業などはハードルが高いのが実情です。そこは、仕組みを理解している僕たちが設定や保守をサポートするような、地域内での得意分野を活かした協力体制を築いていければと考えています。
若手の新規就農者に足りないのは、ベテラン農家さんが持つ長年のノウハウや地域とのコネクションです。一方で、僕らには新しい技術を使いこなすフットワークがある。そこをうまく繋げば、若手によるIoTのレクチャーをきっかけに、ベテランから使わなくなった農機具を譲り受けたり、栽培の知恵を教わったりといった、『技術から始まる物々交換』のような関係性が生まれる可能性もあるはずです。このシステムが、世代を超えた新しいつながりを作る一助になればと思っています」
現在、この取り組みの輪は福島県南地域にとどまらず、近隣の自治体へも広がり、地域を超えた意見交換も始まっている。わからないことには共に取り組み、サポートし合う。こうした姿勢は、単なる製品の導入とは異なる、草の根的な技術の広がりを見せている。
ホビーと産業の間で、等身大の技術を使いこなす
「通い農業支援システム」は、センシング・通信・アラートというIoTの基礎要素が詰まったパッケージだ。このシンプルな入り口を経由して、プログラミングに挑戦する農家が現れたり、有用性を確信した上で高度な既製品へとステップアップしたりと、それぞれの次の歩みにつながっている。「既製品を買うか、アナログで頑張り続けるか」の二択だった現場に、DIYでシステムを作るという第三の選択肢を提示した意義は大きい。
最後に、今後の取り組みや技術への向き合い方について、改めて山下氏に伺った。
山下氏「現在はSeeedのボードやセンサーを活用していますが、現場で使う上で精度面に不足は感じていません。もちろん高価な産業用機器と比べればスペックは譲りますが、ホビーやコンシューマー向けのデバイスでも用途によっては十分に活用できます。むしろ重要なのは、デバイスの性能そのものよりも、目的に応じて適切に計測するためのノウハウでしょう。
農研機構が持つ専門知識と、生産者の皆さんが現場で培ってきた経験が私たちの強み。今後はカメラを活用した見守りなど、現場の新しいアイデアにも応えつつ、皆さんと共に開発・修理・運用のノウハウをさらに深めていきたいですね」

SAF会における勉強会のサイクルは、1年単位だという。春に集まって機材を組み、夏に現場で実践し、冬にその成果を共有する。農業という、季節の移ろいと共に進む営みだからこそ、技術の習得と普及にもじっくりとした時間が必要なのだ。
だからこそ、過剰なスペックではなく、自分たちで管理し続けられる「リーズナブル(適正)な技術」が活きてくる。人任せにせず、自分たちで作り、分け合い、次につなげていく。福島からゆっくりと、しかし着実に育っていくこの取り組みは、テクノロジーが人の手に馴染んでいく、一つの理想的な形を示している。
参考:
・安価かつ簡便にハウス環境を遠隔監視できる通い農業支援システム標準作業手順書
・安価かつ簡便にハウスの遠隔監視に使える IoT機器「通い農業支援システム」 製作マニュアル
・LINE Notify 終了に伴う代替手段について(同上)
本記事はSponsored記事です。
提供:Seeed Studio / Seeed 株式会社

