
2026年現在、3万円台の3Dプリンターでも最大造形速度500mm/sを公称する製品が登場している。わずか10年前、同等の性能を持つ産業用機器には100万円以上の投資が必要だった。
1980年代には数千万円した3Dプリンターが、なぜここまで身近な存在になったのか。背景にはFFF(熱溶解積層法)の基本特許失効、RepRapプロジェクトに端を発するオープンソースムーブメント、そして中国・深圳の製造エコシステムという3つの要因がある。
1980年の日本での発明から現在まで、3Dプリンターの「民主化」がいかにして進んだのかーーその歴史を紐解いてみよう。
始まりは日本──日本人研究者による光造形法の発案(1980年)
3Dプリンターの歴史は愛知県から始まった。1950年7月22日生まれの小玉秀男は、名古屋市工業研究所の研究員として、紫外線硬化性樹脂を使った立体造形の研究に取り組んでいた。
1980年4月12日、小玉は「立体図形作成装置」として特許を出願した。紫外線を照射すると硬化する液体樹脂の表面にレーザー光線を当て、層を積み重ねて立体物を作る技術で、現在「光造形法(SLA: Stereolithography)」と呼ばれる方式の原型となった。1981年11月には、Review of Scientific Instruments誌に世界初の光造形に関する学術論文を発表している。
しかし、小玉の特許は事業化されなかった。日経ビジネスのインタビューによると、特許出願後に「審査請求」を行わなかったため、1987年4月に特許は失効した。当時の日本の特許制度では、出願から7年以内に審査請求を行わなければ特許権を取得できなかった(現行制度では3年以内)。小玉は発明通信社に寄稿した記事の中で、自身の「3つの失策」として審査請求をしなかったこと、関連特許を出願しなかったこと、外国出願をしなかったことを挙げている。

小玉の失敗は個人の問題だけではなかった。 1980年代の日本には、大学や公的研究機関の発明を産業化に結びつける制度が存在しなかった。文部科学省の資料(1977年)によると、「各国立大学の現状を見ると、学内で勤務発明規程を置く等により取扱い方式を明定している大学・研究所はごく少数であり、国としてこれまで統一的な明確な取扱い方針を定めず、積極的に大学教員の発明を保護・活用する措置を講じてはこなかった」という状態だった。特許の出願費用や維持費用を支援する仕組みもなく、研究者個人が自己資金で対応せざるを得なかった。
状況が変わったのは1990年代以降である。1998年にTLO法(大学等技術移転促進法)が制定され、大学の技術を企業に移転する機関の設立が始まった。1999年には日本版バイ・ドール法(産業活力再生特別措置法第30条)が成立し、政府資金による研究から生まれた特許を研究者や大学に帰属させることが可能になった。2004年の国立大学法人化を経て、現在では多くの大学に知的財産部門が設置され、研究者の発明を組織的に支援する体制が整っている。
もし小玉が1990年代以降に発明ーーあるいは日本の知財制度が10年早く進んでいたら、TLOや大学の支援を受けて特許を取得・維持し、ライセンス収入を得ることも可能だったかもしれない。3Dプリンターの歴史において、日本発の技術が事業化されなかった背景には、こうした制度的な未整備があった。
商業化の始まり──アメリカと日本、企業人と研究者の明暗(1984〜1989年)
小玉の特許が失効に向かう一方、アメリカでは光造形技術の商業化が進んでいた。3D Systemsの創業者Charles Hullは1984年8月8日に光造形法に関する特許を米国で出願し、1986年3月に認められた。
Hullは3D Systems創業前、企業での豊富な実務経験を積んでいた。 コロラド大学で工学物理学の学士号を取得後、DuPontで10年間エンジニアリングマネージャーとして勤務した。1979年、DuPontがデラウェア州への転勤を求めた際、カリフォルニアに留まることを選び、UVP社(Ultra Violet Products, Inc.)に転職。同社で6年間、エンジニアリング担当副社長を務めた。
UVP社は産業用・科学用の紫外線光源を製造する企業だった。Hullはそこで紫外線硬化性樹脂の特性を学んだ。1983年、Hullは世界初の3Dプリントオブジェクト(洗眼カップ)を製作した。特許出願後、Hullは事業化に向けてUVP社社長に投資を打診したが、必要な資金規模への同意は得られなかった。しかし社長はHullにスピンアウトを認め、技術ライセンスを提供した。Hullはカナダのベンチャーキャピタルから約600万ドルの資金調達に成功し、1986年に3D Systemsを創業した。
小玉とHullの対比は象徴的である。 両者とも光造形の基本原理を発明したが、その後の軌跡は大きく異なった。小玉は公的研究機関の研究員として、特許出願や事業化を支援する仕組みのない環境にいた。一方Hullは、企業のエンジニアリング副社長として知的財産の実務に精通し、特許戦略を理解していた。DuPontという化学大手での経験が、樹脂材料への理解を深める基盤になり、UVP社での紫外線技術の知見が発明につながった。そして起業に際しては、スピンアウト、技術ライセンス、ベンチャーキャピタルからの資金調達といった手段を駆使した。

1988年、3D Systemsは初の商用光造形3Dプリンター「SLA-1」を発売した。価格は約30万ドル(当時の為替レートで約3840万〜4320万円)。Hullは2014年にNational Inventors Hall of Fameに殿堂入りを果たし、2023年にはNational Medal of Technology and Innovationを受賞した。
1995年、イギリスのRank Prize Funds財団は光造形技術への貢献に対する賞を授与。小玉秀男とChuck Hullが同時受賞し、小玉の方が高額の賞金を受け取ったという。選考委員会は、小玉の論文がHullより先に公開されていたことを認めていた。
FFF技術の誕生と特許失効(1988〜2009年)
光造形とは異なるアプローチで3Dプリンティングに革命をもたらしたのが、Scott Crumpの発明したFFF(Fused Filament Fabrication:熱溶解積層法)技術である。
Crumpもまた、技術と起業家精神を併せ持つ人物だった。 化学エンジニアでベンチャーキャピタリストでもあった父親のもとに米コネチカット州で生まれ、14歳で母親のために壊れた車を修理したという。ワシントン州立大学で機械工学の学士号を取得し、学費を稼ぐためにフォルクスワーゲンを修理・転売していた。1982年には圧力・荷重センサーを製造するIDEA社(後のSI Technologies)をミネアポリスで共同創業し、セールス担当副社長を務めた。
1988年、Crumpは娘のためにグルーガンを使っておもちゃのカエルを作ろうとした際、FFF技術を着想した。溶かした樹脂を細いノズルから押し出し、層を積み重ねて立体物を作るという単純明快な方法だった。Crumpは1992年6月9日に特許を取得した。

1989年、Crumpは妻のLisa Crumpと共にStratasysを創業。1992年発売の同社初の商用製品「3D Modeler」は13万ドル(当時のレートで約1600万円)だった。1994年にはNASDAQに上場し、1995年にはIBMの3Dプリンター技術を買収している。なお、Stratasysは「FDM(Fused Deposition Modeling)」を商標登録しているため、同社以外のメーカーや一般的な文脈では「FFF」が使われる。技術的には同一のものを指す。
転機は2009年10月30日に訪れた。 CrumpのFFF基本特許(US Patent 5,121,329)が出願から20年を経て失効したのである。、特許失効後、FFF方式の3Dプリンター価格は1万4000ドル以上から300〜1000ドル程度へと、約10分の1以下に下落した。
しかし、特許失効だけでは低価格化は実現しなかった。新たな設計と製造方法が必要だった。その答えを提示したのが、イギリスの研究者らによる「自己複製する機械」というラディカルなビジョンだった。
オープンソース革命の幕開け──RepRapプロジェクト(2005〜2008年)

英バース大学機械工学科の講師で数学者のAdrian Bowyerは2004年2月2日、「自己複製可能な3Dプリンター」の構想を発表した。これがRepRap(Replicating Rapid Prototyper、高速試作開発機の複製)プロジェクト始まりである。
Bowyerのビジョンは単純だった。3Dプリンターが自分自身の部品を印刷できれば、1台から2台、2台から4台と指数関数的に増殖できる。そして、その設計を完全にオープンソース(GPL: GNU General Public License)で公開すれば、世界中の誰もが自由に3Dプリンターを製造・改良できるようになる。
3DSourcedのインタビューでBowyerは、オープンソースを選んだ理由について「文字通り数分で決断した」と語っている。特許を取得してライセンス料を得る道も考えたが、「人生を法廷で過ごしたくなかった」こと、そしてオープンソースにすることで「お金を使わずに富を生み出す(Wealth Without Money)」という哲学を実現できると考えたという。2005年夏、BowyerはEngineering and Physical Sciences Research Council(EPSRC)から2万ポンドの研究助成金を獲得した。

2008年5月29日、バース大学の研究室で歴史的な瞬間が訪れた。「親」のRepRapが「子」のRepRapを製造したのである。これは、3Dプリンターが自分と同じ3Dプリンターを作り出した世界初の事例だった。
RepRapの初代モデル「Darwin」(2007年)は造形サイズ230×230×100mmで、部品の約48%を自己複製できた。2009年に発表された「Mendel」は、材料費約400ユーロ、造形サイズ200×200×140mm、重量7kg(Darwinの14kgから半減)と、より実用的なモデルになった。Bowyerは「Wealth Without Money」という論文で、自己複製と指数関数的増殖という概念を通じて、従来の製造業のモデルを覆す可能性を論じた。
現在主流となっているFFF方式デスクトップ3Dプリンターの多くは、RepRapの設計思想を継承している。 MakerBot、Prusa Research、Ultimaker、Creality、Elegooなど主要メーカーの創業者や初期製品は、RepRapのオープンソース設計を直接参照または改良している。
後ほど登場するMakerBotの共同創業者Zach SmithはRepRap Research Foundationの創設メンバーであり、Josef PrusaはRepRap Mendelを改良した「Prusa Mendel」で名を上げた。RepRapプロジェクトが確立した技術要素──フィラメントを溶融押出するホットエンド、XYZ軸の駆動機構、オープンソースのスライサーソフトウェア(Slic3r、Curaなど)、G-codeによる制御──は業界標準となっている。E3D(ホットエンド大手)は「Prusa Research、BCN3D、Crealityを含む業界最大のOEMがE3D開発のシステムに依存している」と述べており、これらはいずれもRepRapの系譜にある。
Makerムーブメントの象徴と「裏切り」──MakerBotの興亡(2009〜2013年)
RepRapプロジェクトが火をつけたオープンソース3Dプリンターの流れを商業的に成功させたのがMakerBotだった。
2009年1月、ニューヨークのハッカースペース「NYC Resistor」のメンバーだったBre Pettis、Adam Mayer、Zach SmithがMakerBotを設立した。

2009年4月発売の初代製品「Cupcake CNC」は、DIYキットとして750ドルで販売され、GNU GPLv3ライセンスの下でオープンソースとして公開された。ユーザーは自分で組み立て、必要に応じて改造できた。2011年3月までに3500台を出荷した。2010年発売の「Thing-O-Matic」は1225ドル、2012年1月の「Replicator」は1749ドルと、徐々に価格は上昇したが、依然として個人が手の届く範囲にあった。スタートアップ不毛の地だったニューヨークで生まれたMakerBotは「Makerムーブメント」の象徴的存在となり、WIREDやMake:などテック系カルチャー雑誌で頻繁に取り上げられた。
しかし2012年、MakerBotは大きな転換点を迎えた。 2012年4月に共同創業者のZach Smithが会社から追放され、9月には新製品「Replicator 2」がクローズドソースとして発表された。これまでオープンソースで公開されていた設計図や回路図が非公開となったのである。

オープンソースコミュニティからの反発は激しかった。Zach SmithはMakerBotのオープンソース放棄を「究極の裏切り(ultimate betrayal)」と呼び、「自分の名前が関連付けられていることを恥じている(ashamed my name is associated)」と述べた。
翌年2013年6月にStratasysが4億300万ドル(当時のレート97.6円/ドルで約393億円)でMakerBotを買収。業績連動にによる支払いを含めると最大6億400万ドル規模の取引だった。買収時点でMakerBotは約2万2000台を出荷し、250人以上の従業員を抱えていた。
スタートアップとしてはEXITによる大成功を収めたかのように見えたが、買収後のMakerBotは低迷の一途をたどる。2015年から2017年にかけて複数回のレイオフを経て、2022年にはオランダの3Dプリンターメーカー「Ultimaker」に売却された。オープンソースコミュニティの支持を失ったMakerBotは、かつての勢いを取り戻せなかった。
オープンソースビジネスの成功──Prusa Research(2012年〜)

MakerBotがオープンソースから離れる一方、オープンソースを貫きながらビジネス的成功を収めた企業がチェコのPrusa Researchである。
創業者のJosef Prusaは1990年にチェコ共和国の小さな田舎町で生まれた。19歳でRepRapプロジェクトに参加し、RepRap Mendelを改良した「Prusa Mendel」を開発。2012年、Prusaは首都プラハでPrusa Researchを創業した。父親から20万チェココルナ(約150万円)を借り、最初の製品はピザの箱に入れて発送したという。クラウドファンディングを使わず、外部投資家からの資金調達も行わずに成長した点が特筆される。

2016年1月、3D Hubsは「Prusa i3」を「世界で最も使われている3Dプリンター」と認定した。3D Hubsは2013年にアムステルダムで創業したオンライン製造プラットフォームで、世界中の3Dプリンターオーナーと、3Dプリントサービスを求めるユーザーをマッチングするマーケットプレイスとして始まった。 最盛期には世界3万3000台以上の3Dプリンターがネットワークに参加していた。同社は後にプロフェッショナル向け製造サービスに移行し、2021年にProtolabsに2億8000万ドルで買収された。3D Hubsが発表するプリンター利用統計は、当時のデスクトップ3Dプリンター市場を反映する重要な指標だった。
2018年にはDeloitte Central Europe Fast 50において、2014年から2018年の間に17,118%の成長率を記録し、「中央ヨーロッパで最も急成長したテクノロジー企業」に選ばれた。TCT Magazineの報道によると、2019年の売上は4583万ユーロ、出荷台数は5万9776台に達した。2024年時点で従業員は1100〜1200人、月産1万台以上を165カ国以上に出荷している。
Prusaは2023年3月のブログで、「PCBヒーテッドベッド、取り外し可能なシート、PEIコーティング、オートメッシュレベリング、パワーパニック、サーマルランナウェイ保護」など、数々の革新を特許取得しなかったことを明かしている。これらの技術は現在、業界標準として広く採用されている。
光造形の民主化──Formlabsと特許訴訟(2011〜2014年)
FFF方式の民主化が進む一方、光造形(SLA)方式でも同様の動きが起きていた。その立役者が、MITメディアラボ出身者が創業したFormlabsである。
2011年、Maxim Lobovsky、Natan Linder、David CranorはMITメディアラボでの研究を基にFormlabsを創業した。2012年9月に開始したKickstarterキャンペーンでは、目標金額10万ドルに対し、2068人の支援者から294万5885ドルを調達した。これは当時のテクノロジー製品としてKickstarter史上最高額の一つだった。

2012年12月に発売された「Form 1」は2299ドル(当時のレートで約19万円)で、25ミクロンの積層ピッチを実現した。産業用SLAプリンターの約3%の価格で、同等の精度を提供した点が画期的だった。
しかし2012年11月、業界最大手の1社である3D SystemsはFormlabsを特許侵害で提訴。まだ、KickStarterのオーダー分を出荷し切れていない状態だったタイミングでの出来事だった。
3D Systemsの特許ポートフォリオは同社の基盤であり、低価格SLAプリンターの登場は脅威と見なしたのだ。裁判の結果、2014年11月に両社は和解。Formlabsは3D Systemsに純売上高の8%をロイヤルティとして支払うことで合意した。
和解後もFormlabsは成長を続け、2018年には3Dプリンティング業界初のユニコーン企業(評価額10億ドル以上)となった。2024年時点で評価額は20億ドル以上と推定されている。ちなみにStratasysはFFF方式の3Dプリンター「Afinia」開発・販売していたMicroboards Technologyも特許侵害で訴えている。
アジア発・低価格化の先駆者と撤退──XYZprinting(2013〜2023年)

FFF技術の特許失効とRepRapの普及を受けて、3Dプリンターの低価格化は一気に加速。台湾のXYZprintingが低価格3Dプリンター市場に参入した。
XYZprintingは台湾のEMS(受託製造企業)である新金宝グループの子会社として2013年に設立された。同年発売の「da Vinci 1.0」は499ドル(約5万円)で、当時のMakerBotやUltimakerが2000〜3000ドル台だった市場において破格の価格だった。2016年1月のCESでは、299ドルの「da Vinci Mini」を発表し、さらなる低価格化を推進した。da Vinci 1.0は2014年のCES Editors’ Choice Awardを受賞している。
同社はNFCチップを搭載した専用フィラメントカートリッジを採用していた。Hackadayは2016年、これを「インクジェットプリンターのカミソリモデル──本体を安く売り、消耗品で回収する戦略」と報じている。ユーザーコミュニティではArduinoベースのチップリセッターを開発し、DRM回避方法がフォーラムで共有されるケースも見受けられた。こうした流れに歩み寄ってか、XYZprintingは2015年にリフィル可能なカートリッジを発表したが、依然としてチップが必要な仕様だった。
2023年3月、親会社のNew Kinpo GroupとCalcompは事業清算を決定した。同社のFernando Hernandez欧州MDはLinkedInでの投稿で、撤退理由として「COVID-19後のデスクトップ3Dプリンター市場のトレンド」と「グローバルサプライチェーンの制約」を挙げた。3D Printing Centerは、Creality、Anycubic、Prusa Researchなど「より安価で、よりカスタマイズ可能なオープン構造の製品」に市場を奪われたことを指摘している。また、新金宝グループ全体の事業規模に対し、3Dプリンター事業は「小規模なサイドプロジェクト」に過ぎなかったとも報じられている。
XYZprintingの撤退は、3D Systems(Cube)、MakerBot、Solidoodle、M3Dなど、クローズドなコンシューマー向け3Dプリンター事業が相次いで縮小・撤退した流れの一つである。しかし、コンシューマー向けの3Dプリンターは、中国で次のイノベーションを巻き起こすことになる。
深圳メーカーの台頭とFFF品質革命(2014〜2022年)
XYZprintingの参入と前後して、中国・深圳を拠点とするメーカーが3Dプリンター市場に参入し、価格破壊をさらに加速させた。
Creality(2014年創業)、Anycubic(2015年創業)、Elegoo(2015年創業)、SUNLU(2013年創業)の4社が市場を2010年代のコンシューマー向け3Dプリンター市場を牽引した。CONTEXTの2024年Q2レポートによると、Creality、Anycubic、Elegooの3社だけで世界のFFF方式3Dプリンター出荷台数の約51%を占めている。
しかし、低価格化だけでは市場は広がらなかった。 2010年代半ばまで、FFF方式の3Dプリンターは造形品質の低さが大きな課題だった。反り、層ずれ、ゴースティング(振動による表面の波打ち)など、多くの問題がユーザーを悩ませていた。プリントの失敗率は高く、造形完了までの調整作業に多くの時間を費やす必要があった。FFF方式は「安いが手間がかかる」というイメージが定着し、ユーザー層は忍耐強いホビイストや技術者に限定されていた。
転機は2020年前後に訪れた。 オープンソースファームウェア「Klipper」の普及と、それに伴う「Input Shaping」技術の実用化がゲームチェンジャーとなった。Klipperは、3Dプリンター本体のマイコンで行っていた計算処理をRaspberry Piなどの外部コンピュータに移管することで、より高度な制御を可能にした。Input Shapingは高速印刷時に発生する振動を予測・相殺する技術で、ゴースティング(リンギング)を大幅に低減した。また、Pressure Advance(圧力補正)技術により、フィラメント押出の遅延を補正し、コーナー部分の造形精度が向上した。
これらの技術により、仕様上200mm/s以上の高速印刷でも品質を維持できるようになった。従来は「品質か速度か」の二者択一だったが、「品質と速度の両立」が可能になった。Creality K1シリーズやPrusa MK4など、Klipperベースまたはその技術を取り入れた製品が続々と登場した。
DJI出身エンジニア集団の挑戦──Bambu Lab(2020年〜)
2020年、DJI(ドローン世界最大手)出身の5人のエンジニアが深圳でBambu Labを創業した。
創業メンバーにはDJI Mavic ProのプロダクトマネージャーだったYe Tao(葉濤、CEO)、ジンバルの主任エンジニアだったChen Zihan、ソフトウェアとアルゴリズム担当のZhang Hanxiong、ハードウェア担当のHuang Yunfeiが含まれる。

2022年5月にKickstarterで発表した「X1シリーズ」目標10万ドルに対し、33日間で1178万ドル(約17億円)を調達した。同社は2022年6月にX1 Carbon(1449ドル)、2023年4月にP1S(699ドル)、2023年9月にA1 mini(299ドル)と、異なる価格帯の製品を投入している。
Bambu Labの製品は最大造形速度500mm/sを公称し、7ミクロン精度のMicro Lidar、最大16色の自動切り替え(AMS)など、従来の個人向け3Dプリンターの常識を覆す性能を実現した。同社はKlipperのような外部ファームウェアに依存せず、独自開発のファームウェアでInput Shaping、Pressure Advance、そしてMicro Lidar、AVC(ジンバル技術から応用した振動補正)などを統合した。従来のFFF方式プリンターは、購入後にベッドレベリング、フロー調整、温度最適化などの設定作業が必要だったが、Bambu Lab製品は「箱から出してすぐ高品質印刷」を実現した。
同社の2024年売上は60億人民元(約1200億円)に到達、一気に巨大企業へと成長を果たした。
急成長の裏で、オープンソースコミュニティとの対立も
Bambu Labの急成長はオープンソースコミュニティとの摩擦も生んでいる。
2022年5月のブログ「To open, or not to open」で同社は、スライサー(Bambu Studio)はAGPL準拠で公開するが、ファームウェアは100%プロプライエタリ(開発元がソースコードを公開せず、権利を独占保有すること)と説明した。
Josef Prusaは2023年のブログで、オープンソースコードをクローズドシステムで使用していること、オープンソース開発に基づく特許を出願していることなどを批判し、「オープンソース・デスクトップ3Dプリンティングは死んだ」と宣言した。背景には、中国政府による3Dプリンティングの「戦略的産業」指定と税制優遇、そして特許コストの非対称性がある。中国での特許出願コストは約125ドルだが、それを欧米で無効化するには1万2000〜7万5000ドルを要する。
2025年1月にはBambu Labが新ファームウェアでサードパーティソフトウェアをブロックし、OrcaSlicer開発者のSoftFeverは「Bambu Connectの採用を公式に拒否する」と表明した。こうした反応を受けてか、Bambu Labはその後「Developer Mode」を追加し、サブスクリプションモデルへの移行はしないと約束した。
100万円から3万円へ──50年が示すもの
1988年に約30万ドル(約4000万円)だった3Dプリンターは、2025年には数百ドル(3万円台)で購入できるようになった。1000倍規模の価格下落である。この変化をもたらした要因は、FFF特許失効、RepRapによるオープンソース化、アジアメーカーによる量産参入、Klipper/Input Shaping技術による品質革命、そしてBambu Labによるソフトウェア統合技術の革新である。
オープンソースという軸で見ると、この歴史は単純な成功物語ではない。小玉秀男は世界初の発明を特許で保護しようとしたが、制度的支援のない環境で権利を失った。RepRapは技術を完全公開し業界発展を促した。MakerBotはオープンソースで成功したがクローズドへの転換でコミュニティの信頼を失った。Prusa Researchはオープンソースを貫きながら成功したが、競争環境の変化に直面している。XYZprintingは低価格製品で市場を開拓したが、COVID-19後の市場変化と中国メーカーとの競争の中で撤退した。Bambu Labは優れた製品で市場を席巻したが、オープンソースコミュニティとの緊張を抱えている。
技術の公開と保護、コミュニティと企業、革新と収益化──相反する力の綱引きの中で、3Dプリンターの民主化は進んできた。この緊張関係は今後も続くだろう。
40年前、名古屋の研究所で紫外線と樹脂の実験をしていた一人の研究者は、自分の発明が世界中のデスクトップに置かれる未来を想像しただろうか。 小玉秀男の発明から始まったこの技術は、大陸を越え、企業と個人を経由し、特許とオープンソースの狭間を行き来しながら、ついに誰もが手にできるものになった。次にあなたが新しいプリンターの電源スイッチを押すときーーそこには無数の発明家や開発者、そしてコミュニティの見えない手が重なっている。

