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CERNとKiCadの関係史——1万7000点の背景にある長期の共同作業

先日、FabSceneでお伝えした「CERNがKiCad用の部品ライブラリをCERN-OHL-Pで公開した」というニュースは、大きな反響を呼んだ。同時に、複数の読者から「そもそもCERNとKiCadには何の関係があるのか」という素朴な問いが寄せられた。

素粒子物理学の巨大研究所と、世界中のメイカーが机の上で動かす無償のEDAソフトウェア。両者の距離は確かに遠く見える。だが今回の公開は突発的な出来事ではなく、15年近く積み重ねてきた共同作業の延長線上にある。本稿では、その関係史と、公開された1万7000点のライブラリの中身を改めて整理する。

セルン(CERN)とは何か

周長27kmのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)トンネル。1万2000人を超える利用研究者がCERNの設備を共同で活用している。画像出典:CERN

CERN(セルン)は、スイスとフランスの国境地帯に位置する欧州原子核研究機構の略称で、1954年に12カ国が加盟して発足した国際共同研究機関だ。現在は25カ国の加盟国と11カ国の準加盟国が運営に参加し、世界最大の粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を擁する。

CERNが知られているのは粒子物理学の研究だけではない。1989年、CERNのTim Berners-Lee氏が研究者間の情報共有手段として「World Wide Web」を設計し、1994年にそのソフトウェア一式をオープンソースライセンスで公開した。同機構は現在「CERN Open Science Policy」のもとで複数の取り組みを並行運営している。具体的にはハードウェア向けの「CERN Open Hardware Licence(CERN-OHL)」の整備、論文のオープンアクセス推進、LHC実験データを公開する「Open Data Portal」などだ。今回のKiCadライブラリ公開は、その延長線上に位置づけられる。

CERNとKiCadの関係史

出典:KiCad

KiCadは1992年、フランス人開発者のJean-Pierre Charras氏が最初にリリースしたPCB設計のためのオープンソースソフトウェアスイートだ。このソフトウェアに、CERNが本格的に関わりはじめたのは2010年代初頭である。

CERNはまず2011年に「CERN Open Hardware Licence」の初版を発表し、ハードウェア設計データを二次利用可能な形で配布する制度的な基盤を整えた。同年、加速器制御部門のBE-CO-HTセクションはKiCad本体への正式なコード貢献を開始する。Javier Serrano氏が2023年9月にKiCad開発者向けメーリングリストへ投稿した「Evolution of CERN’s support to KiCad」によれば、CERN内部での議論は2008年に始まり、2011年にKiCad開発参加の決定へ至った。2013年からはCERN & Society Foundationを通じた寄付プログラムも追加された。CERNが投入したのはTomasz Włostowski氏、Maciej Sumiński氏、Javier Serrano氏らを中心とする開発リソースで、商用EDAツールと同等の使い勝手を目標とする大規模なリファクタリングと機能拡張に着手した。

中でも、既存配線を自動的に押しのけて新規配線を通す「Push & Shove Router」は、CERN開発チームのTomasz Włostowski氏が2013年9月18日にKiCad開発者向けメーリングリストへ初版を投稿した機能だ。CERNはこれ以外にもグラフィックス抽象化レイヤーの導入、差動配線長合わせ、内部データ構造の刷新など、CERNが主導する複数の機能拡張を取り込んできた。CERNのKiCad貢献プロジェクトページ(Open Hardware Repository内)には、貢献してきた機能群と関連発表が一覧で記載されている。

KiCad本体へのコード貢献、CERN-OHLの制定、そしてOpen Hardware Repository(ohwr.org)の運営が三位一体で進められてきた点が、CERNのKiCad関与の特徴だ。Open Hardware RepositoryのKiCad貢献プロジェクトページには「KiCadがPCB設計に対して、gccが自由ソフトウェア開発に対して果たしたのと同じ役割を果たせると考えている」と記されている。

CERN自身のKiCad活用

CERNの最新タイミング・ノード「WREN」。1500点超の部品を載せた12層基板で、KiCadで設計されCERN-OHL-Wで公開された。画像出典:T. Gingold et al., ICALEPCS 2025

KiCadは現在、CERN内部で実際の基板設計に使われている。象徴的な事例が、加速器制御の基幹インフラとなる「White Rabbit」プロジェクトだ。White Rabbitは、離れた場所にある機器同士の時計を1ナノ秒(10億分の1秒)未満のズレで同期させる技術で、CERNが通常のEthernetを拡張する形で開発した。LHCのように全長27kmにわたる加速器では、各所に分散した制御機器のタイミングをこの精度で揃える必要がある。

この技術は精密時刻同期の国際標準「PTP(Precision Time Protocol、IEEE 1588)」に取り込まれている。Open Hardware RepositoryのWhite Rabbit標準化ページによれば、2020年6月15日に発行されたIEEE 1588-2019の付属書(Annex I)に「High Accuracy」プロファイルとして収録された。CERN発のオープンハードウェア技術が、世界の通信・計測機器の国際標準仕様の一部に取り込まれた事例である。

White Rabbitのリファレンス実装で長く使われてきたFMC(FPGA Mezzanine Card)規格のキャリアカード「SPEC(Simple PCIe FMC Carrier)」など、初期世代のボードはOpen Hardware Repositoryで設計データが公開されている。最新世代となる「WREN(White Rabbit Event Node)」もKiCadで設計されている。

CERNがICALEPCS 2025で発表した論文(WEPD017)によれば、WRENはAMD(旧Xilinx)のZynq UltraScale+ SoCを中核に据え、800ピンSoC、マルチGbpsリンク、1500点超の部品を載せる12層基板を、CERN-OHL-Wのもと公開している。WRENは2027年以降、CERN加速器コンプレックス全体へ数千台規模の展開が計画されており、PCIe、VME、PXIe、μTCAなど複数のフォームファクターを持つ。今回公開されたライブラリは、こうした実機で繰り返し使われてきた部品データそのものを含む。

公開された膨大なライブラリの中身

リポジトリは「gitlab.com/ohwr/cern-kicad-libs」で公開されており、ライセンスはCERN-OHL-P 2.0(許容型変種)で、商用利用、改変、再配布のいずれも認められる。Open Hardware Repositoryのサブプロジェクトとしてホストされ、2026年1月6日に作成、5月7日の正式公開時点でmasterブランチに36のコミット(変更履歴)が積まれている。

KiCadで基板を設計する作業は、大きく分けて「シンボル」と「フットプリント」という2つの部品データを使う。シンボルは回路図の上で部品を表すマーク、フットプリントは基板上で部品の足を配置するパターンを指す。今回のライブラリには、この2つを組にした電子部品エントリが1万7000点を超える規模で収録されている。

最大の特徴は、「atomic(アトミック)方式」と呼ばれる構成だ。KiCad標準ライブラリは「汎用シンボル+共通フットプリント」を後から組み合わせる柔軟性重視の設計を採るのに対し、CERNのライブラリではシンボルごとに具体的なメーカー型番が紐づけられ、対応するフットプリントも一意に決まっている。設計者がライブラリから部品を選んだ瞬間に「どの型番を実装するか」が確定する仕組みで、量産時の部品リスト(BOM)生成や調達工程との連携でブレが出にくい。

収録部品はCERNの設計現場の領域を反映している。加速器制御、検出器、計測機器、タイミング系の機器に頻出する以下のような部品が含まれる。

計測用メザニンカードのコネクタ:FMC(FPGA Mezzanine Card)規格に対応する160ピン高密度コネクタなど。メザニンカードとは、メインの基板に重ねて装着する子基板のことで、計測機器や高速通信機器で標準的に使われている。CERN自身のSPEC、SVEC、WRENといった基板で長年採用してきた検証済みの部品データが、そのまま収録されている。
高精度同軸コネクタ:無線・計測機器の定番であるSMA、N型に加え、スイスLEMO社の0B/1B系コネクタが含まれる。LEMOは堅牢な丸型プラグで知られ、医療機器や加速器の現場で広く採用されている部品ブランドだ。
光通信モジュール:SFP、SFP+ケージ、QSFPなど、光ファイバを使う通信機器の標準部品。White Rabbitのネットワークの終端でも使われる。
大規模FPGA・SoC:WRENの中核であるAMD(旧Xilinx)「Zynq UltraScale+」のような数百ピン規模の集積回路。こうした大型チップは、底面に格子状にピンが並ぶBGA(Ball Grid Array)と呼ばれるパッケージで、自前でフットプリント検証を行うと手間がかかる典型例だ。
高精度クロック・タイミングIC:温度補償付きの高安定発振器(OCXO)や、複数の機器のクロックを揃えるための分配IC。SiTime「SiT3521」、Skyworks「Si549」、Analog Devices「HMC7044」など、White RabbitやWRENのFMC仕様書に実装部品として記載されているチップが含まれる。
組織固有のフットプリント:電源・保護部品に加え、CERN内部規格のテストポイントや識別ラベルなど。

CERN公式発表によれば、CERNのDesign Office(BE-CEM-EPR)が1万7000点を超えるシンボルとフットプリントを内部で維持しており、通常の設計フローでは設計者が回路図を作成し、配置配線をDesign Officeに委ねる体制が採られている。

似た性格を持つ無償の部品データサービスにSnapEDAやUltra Librarianがある。ただし両サービスはアカウント登録のうえで個別ライセンス条項に基づく利用が前提で、ライブラリ自体を再配布したり、派生ライブラリを商用ハードウェア設計に組み込んで第三者に公開する運用には制約がある。CERN-OHL-Pは商用利用、改変、再配布のいずれも認める許容型ライセンスのため、ライブラリ全体を社内ライブラリへ統合し、変更分だけGitLab上で派生公開する運用にも適合する。

試してみる手順

導入はGitリポジトリのクローンとKiCadの「ライブラリテーブル」設定で完結する。

KiCad本体は公式サイトから入手できる。Windows、macOS、各種Linuxディストリビューション向けのバイナリが提供されており、現行安定版はKiCad 9.x系だ。CERNのライブラリは現時点でKiCad 9.x系を前提に整備されている。後継のKiCad 10.x系に直接読み込ませた場合、JSONメタデータの不足でロードに失敗した事例がHackadayの動作検証で報告されている。KiCad 10.x系への公式対応はCERN側から提供予定と告知されている。

リポジトリの取得は次のコマンドで足りる。

git clone https://gitlab.com/ohwr/cern-kicad-libs.git

クローン後、KiCadを起動して「Preferences」→「Manage Symbol Libraries」を開き、Global LibrariesタブまたはProject Specific Librariesタブで「+」ボタンを押し、クローンしたディレクトリ内のシンボルライブラリファイル(拡張子.kicad_sym)を追加する。同様に「Manage Footprint Libraries」でフットプリントライブラリディレクトリ(拡張子.pretty)を追加する。グローバルテーブル(sym-lib-table、fp-lib-table)へ登録すれば全プロジェクトから参照でき、プロジェクト固有テーブルに登録すれば特定プロジェクト内のみで参照する形に切り替えられる。ローカルクローンを参照する方式のため、git pullを実行すれば最新コミットへ追従できる。

注意点が二つある。第一に、KiCadのファイルフォーマットはメジャーバージョンが上がると、いったんアップグレード保存した時点で旧バージョンから開けなくなる仕様だ。KiCad 9.xと10.xが混在する環境ではバージョン管理に配慮が必要で、複数人で編集する場合は追従タイミングを揃える運用が現実的になる。第二に、3Dモデルの同梱状況とライセンス表示はサブディレクトリごとに異なる可能性があるため、READMEと各カテゴリのメタファイルを確認したうえで取り込み範囲を選ぶ判断材料にする。カテゴリ単位で必要なシンボルライブラリだけをsym-lib-tableに追加する選択的取り込みも可能だ。

30年に渡るオープンソース哲学の結晶

1994年、CERNはWorld Wide Webのソフトウェアをオープンソースで世に出した。その30年あまりのち、同じ機構が今度はPCB設計のための部品ライブラリを、同じ思想で公開した。フリーソフトウェアの哲学が、KiCadというツールと、CERN-OHLというライセンスと、現場で検証された部品データという三層を経由して、世界中のMakerの机の上に戻ってくる。今回の公開で、その循環の輪郭が一段はっきりした。

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越智 岳人

FabScene編集長。オープンソースハードウェアや3Dプリンター、デジタルファブリケーション、ハードウェアスタートアップを専門領域とする。 大学卒業後、複数の業界でデジタルマーケティングに携わる。2013年当時に所属していた会社でwebメディア「fabcross」の設立に参画。12年間に渡ってサイト運営に従事し、月間100万PV規模に成長させる。並行して国内外のハードウェア・スタートアップやメイカースペース事業者、サプライチェーン関係者など100人以上取材。 2017年に独立、2021年にシンツウシン株式会社を設立。編集者・ライターとして複数のオンラインメディアに寄稿するほか、企業のPR・事業開発コンサルティングやスタートアップ支援事業に携わる。 2025年にFabSceneを設立。ハードウェアとデジタルファブリケーションの「現場」を一次取材で記録することをミッションとする。趣味は365日働ける身体作りと古着屋巡り。