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大阪・日本橋で半世紀――共立電子産業が時代の変化を越えて受け継ぐ、創業者のDNA

電子部品は、いまではスマートフォンから注文すれば翌日に届き、海外の通販サイトを使えば中国の工場から直接取り寄せることもできる。

それでも大阪・日本橋(にっぽんばし)の電気街には、店員に相談しに通う人が絶えない電子部品店がある。1970年創業の共立電子産業だ。3フロアから成る店舗内には、常時約4万点の在庫がそろい、ネット通販での在庫や取り寄せも含めれば50万点近い商品を扱う。

創業者の蘇建源(そ・けんげん)氏が店頭で貫いた流儀は、ネット通販や海外ECといった時代の変化を越えて、いまも社員に受け継がれている。

ジャンク部門から社長になった岩田健氏と、シリコンハウス一筋30年の四元徹氏に、大阪から見た電子部品流通の半世紀を聞いた。

1970年、日本橋で――電子部品の街と、店頭に立った創業者

共立電子産業創業者の蘇建源氏(1941〜2018)。客に寄り添う接客方針を貫く一方で、地元・日本橋の地域振興にも尽力した。没後に開催されたお別れ会では製造業や小売業に留まらず、政財界から多くの弔問客が訪れたという。(写真提供:共立電子産業)

共立電子産業が大阪・日本橋に生まれたのは1970年8月である。日本橋はもともと、戦前から古書や古物、ラジオ商材を扱う店が集まる土壌を持っていた。戦後の混乱期に商いが広がる中で、ラジオや真空管、関連部品を扱う店が次第に増え、電気街としての性格を強めていく。岩田氏は、当時を知るさまざまな人から聞いた話として、こう語る。

「戦後、いろんな商売が広がっていったと思いますが、電子部品の業界もその中から育っていったようです。初めはジャンクから始まっていると聞いています。放出品中心の商流から部品小売へと広がっていく流れや、電気街化の基盤そのものは1970年より前から進んでいたと思います。そのうえで、共立が創業した1970年は、そうした変化がすでに根づき、正規流通の電子部品がさらに広がっていった時期だったのだと思います」

1950年代に始まった真空管から半導体への移行は、1960年代を通じて広く定着していった。共立が生まれた1970年は、その変化がすでに日常の技術として根づいていた時期にあたる。ラジオやテレビを自作するキット文化の中心はそれより少し前で、ラジオは戦後直後から1950年代前半、テレビは1950年代前半から半ばにかけて広がった。

その後、自作文化は生活のための実用品づくりから、趣味や教育の領域へと少しずつ重心を移していく。一方、オーディオは真空管アンプ文化を土台にしながら、1960年代から1970年代にステレオブームとして花開いた。完成品を買えば高くつくものを、部品を買い集めて自分で組む。日本橋にはそうした部品を扱う小さな店が軒を連ねていた。

取材に応じた共立電子産業 代表取締役社長の岩田健氏(右)と、部長の四元徹氏。岩田氏と四元氏は1995年に入社。

「お客様に寄り添う」――創業者が遺し、半世紀受け継がれた流儀

共立の商いには、創業以来変わらない軸がある。四元氏が、その文化を説明する。

「お客様に寄り添って、伴走しながら紹介するスタイルが、創業者の時代からありました。お客様の困りごとを解決していく。親身になって商売をしていくというのが、共立のスタイルでした。インターネットもない1995年ごろは、資料を開きながら手書きで図面を書いてあげて、『これで(試してみて)』という形でやっていました」

レジの脇には、大量のデータをまとめた紙のファイルが積まれていた。古い部品の価格もそこから引いて即答する。ネットがない時代に、店員の頭と紙の資料が検索エンジンの代わりを果たしていた。

そうした店員は、客の記憶にも長く残る。四元氏がいまも街で昔の客に出会うと、「あのころよく通っていた」と声をかけられることが多いという。関西で学生時代を過ごし、東京のメーカーに就職した人からも、懐かしむ声が届く。

1990年代ごろのシリコンハウス共立の旧店舗(写真提供:共立電子産業)

1990年代当時の店内の様子。所狭しと商品が並ぶ。(写真提供:共立電子産業)

共立の店は、性格の異なる二つの顔を持つ。旗艦店の「シリコンハウス」は、東芝などのメーカーから仕入れた正規の半導体や、50万円から100万円する測定器を並べ、法人や学校を主な客とする。一方の「デジット」は、メーカーの余剰在庫やスポット商材、掘り出し物を扱う。岩田氏は、デジットの店長を務めた立場からこう振り返る。

「デジットはジャンクなので、余剰在庫を引き取ることが多々ありました。ランプを大量に入れたり、コンデンサーをトラックいっぱい仕入れたり。なかでもデジットを成長させたのはBSチューナーユニットでした。1万円、2万円する時代に、むき出しの基板で2000円から3000円で組めた。ちょっとリスクがあるようなものだけど、買う側からすると面白いじゃないですか」

BSチューナーユニットは衛星放送を受信するための基板で、完成品なら高くついたものを、むき出しのまま安く手に入れられた。正規品と余剰在庫やスポット商材では、仕入れの仕方も客層もまるで違う。岩田氏がジャンクのデジット、四元氏が正規品のシリコンハウスと、二人は最初から別々の店で別々の文化を担い、ほとんど言葉を交わさないままそれぞれの現場を回していた。

キャプション:デジットの売り場にはコンデンサやギヤなどの部品が大量に並ぶ。ビル内にある3フロアのみで、試作開発や電子工作に必要な部品のほとんどがまかなえる点が、共立電子産業の強みだ。

デジットの強みは、いまでは続けにくい商売にもなっている。岩田氏が続ける。

「ジャンクは、面白い商材との出会いが大きい。いまはそうした商材を集めるのも簡単ではありません。1970年代、80年代だったら、日本にブローカーのような人が10人、20人はいたと思うんですけど、今はもうほぼいない。これからジャンクで新規参入しようと思っても、商材の面で苦労すると思います」

1996年に始めた通販――全国の作り手に開いた窓口

店頭での対面を大切にする一方で、共立はネット通販にも早くから踏み出していた。通販サイト「共立エレショップ」を開設したのは1996年である。

楽天市場のサービス開始が1997年、Amazonの日本での開業が2000年だったことを思えば、電子部品店としてはかなり早い一歩だった。

インターネットでものを買うという発想自体がなじみの薄い時期で、国内のネット店舗は1995年時点で200店ほどだったとされる。そんな黎明期に、共立は部品をオンラインで売り始めていた。 

共立エレショップは、実店舗の在庫と連携しながら、個人の電子工作ファンだけでなく、大学や企業の研究開発部門まで、全国の顧客に部品やキットを届ける窓口になった。少量多品種をうたい、少ない数からでも注文できるため、試作や教育の現場と相性がよい。秋葉原や大阪・日本橋まで足を運べない地方の作り手にとって、共立の幅広い在庫に画面越しで手が届く意味は大きかった。店頭の品ぞろえと在庫の幅という強みが、そのまま日本中へ開かれた格好になる。 

店頭の文化と通販は、相反するものではない。店では店員が顧客に伴走し、通販では全国へ品ぞろえを開く。岩田氏は店舗の統括として、通販にも一部目を配ってきた。対面と通販の二本立ては、四半世紀にわたって共立の両輪であり続けている。後にデジットのジャンク部品まで通販に乗せるようになり、店でしか出会えなかったはずの掘り出し物にも、全国から手が届くようになっていく。 

誰でも使えるマイコンの登場――Arduinoとラズパイが変えた顧客層

ネット通販とは別の側面から電子工作の裾野を広げたのは、小さなコンピューターを一つのチップに収めた「マイコン」の普及だった。共立はその波を店頭で受け止めてきた。そもそもマイコン以前から、Z80系のマイクロプロセッサが自作コンピューターやホビー用途で広く使われ、電子工作の世界に「プログラムして動かす」文化を根づかせていた。そうした流れの中で登場したのが、オンボードで書き換えられるPICと呼ばれるマイコンである。岩田氏が振り返る。

「マイクロチップのPICが出てきて、フラッシュで書ける、基板に実装したままオンボードで書き込めるようになった。それが革命的でした。それまではチップを外してライターで書いて差し戻す作業があったので、実装した状態でプログラムを書き換えられるのは、やっぱりすごかった」

専用のライターや書込み器は必要だったが、基板に実装したままオンボードでプログラムを書き換えられるようになった。さらに、EEPROMやFlashメモリの採用で、従来のPROM/EPROMのようにROMライターとUVイレーサーを併用する手間が減り、開発コストも大きく下がった。PICの登場は、より実践的な電子工作を一気に身近にした。共立ではPICやAVRといったマイコンチップを単体で売り、自分で組み上げる顧客が多かった。純正の書き込み器はもちろん、安価な共立オリジナルのAVRライターも販売した。

やがて、設計情報が公開され誰でも自由に使えるオープンソースハードウェアのArduinoが登場する。共立は関西でも早い時期にArduinoのイベントを自社のセミナーとして開き、人を集めた。3000円もしないArduinoは、それまで電子工作と縁の薄かった層を引き寄せる。四元氏は、店頭の顧客層が変わっていった時期を覚えている。

「ハードウェアをあまり知らない学生さんや、アート系の子がすごく増えた時期がありました。関西の美大に通う学生さんが来て、『こういうものを作りたいんです』と話して、店員がアドバイスする。頭の中にあるものを作るための道具として、Arduinoを採用していくような流れでした」

転換点はもう一つあった。名刺ほどの基板に一通りの機能を載せた小型のコンピューター、シングルボードコンピューターのRaspberry Piである。岩田氏は当時、別のボードに力を入れていた。

「その当時は、BeagleBoneが来ると確信していました。普及に向けて、さまざまな苦労を重ねながら頑張っていた。そうしたらRaspberry Piが出てきて、1年ぐらいですべて駆逐してしまった。もうめちゃくちゃショックでしたよ(笑)」

とくにRaspberry Pi 3の世代から普及が加速した。Wi-FiとBluetoothを採用したPi 3はIoTが普及し始めた時代のニーズとも重なって、世界中で売れた。日本でもLinuxを扱える大学生が遊び始め、キーボードとマウスをつなげばパソコンと同じ感覚で動く手軽さが、電気の専門知識を持たない層まで一気に広げた。法人からは本体に電源アダプターやケーブルをまとめたセットで注文が入るようになり、共立は別の業者へ卸す役割も担った。

「店で作り、店で相談」――通販に渡せない体験の価値

店舗内に設けられた「ものづくり工作室」。買った製品をすぐに組立・はんだ付けしたいという顧客の要望に沿って開設。週末や夏休みなどの長期休暇中は多くの利用者が訪れる。(写真提供:共立電子産業)

2016年、共立はシリコンハウスのリニューアルにあわせて「ものづくり工作室」を新設した。店で作れないか、はんだ付けできないか、という客の要望が背景にあった。ネット通販が広がり、メイカースペースが流行し始めた時期でもある。立ち上げ当初はワークショップを開催して、集客と認知に力を注いだと四元氏は振り返る。

「普通に運営していては集客できないので、イベントを打ち出し始めて、ワークショップをいろいろやって、積極的に人を呼び込む施策を講じていました。週末はほぼイベントで、多い時は1年を通して毎週何かをやっていましたね」

いまでは、店で買った部品をその場で組み立てる顧客や、サークルで集まって先輩後輩で教え合う学生が工作室を使う。手を動かす場として根づいてきた。

通販と実店舗の違いを、岩田社長は車にたとえる。

「店舗は、一点もののクラシックカーのようなもので、そのもの自体に価値がある。通販はどちらかというと量産車を生む場でいい。単純に性能だけ見れば量産車のほうが圧倒的に使えるけれど、それでも何千万円もするクラシックカーを買う人がいる。そういう区分けはいるのかなと思っています」

店員が客に伴走する文化も、人を介して受け継がれる。共立にはマニュアルがなく、教育は現場で進む。

「一度聞かれたことは、次に聞かれたときに同じことを答えられるよう、勉強してくる。最初はお客さんが何を言っているか分からないところから始まって、お客さんに教えてもらいながら覚えていく」と四元氏は話す。いまは学校で電子工作を深く教えないため、知識を身につけたくてアルバイトに来る大学生も多いという。

街と次世代へ――ロボ連、ハッカソン、ものづくり教育

共立のユニークさは、部品を売る商いと街づくりを両立させてきた点にある。創業者の蘇建源氏は、日本橋の大規模イベント「日本橋ストリートフェスタ」の立ち上げに関わった。道路を止めて催しを開く文化が根づきにくかった大阪で、蘇氏は東京の国会まで足を運んで議員に話をするなどして開催にこぎ着けたという。フェスタはいまも毎年続き、関西有数の規模に育っている。

ロボットを軸にした街ぐるみの交流も、創業者が種をまいた。2000年代半ば、蘇氏は日本橋のダイセン電子工業の蝉正敏(せみ・まさとし)氏らとともに「でんでんタウンロボット連絡会」を立ち上げ、初代の代表を務めた。二足歩行ロボットのブームを背景に、企業や技術者が情報を交換する場として始まったこの会を、いまは四元氏が運営する。

「年に3回ほど集まっています。この前は大阪・関西万博に関わった技術者のメンバーが多かったので、現場を知る人しか気づかない問題点や、技術者の目で見た万博の面白さを話したり。大きな会社の人もいれば、1人で親方をやっている人もいて、同じ技術者の目線で話せるのが力になっています」(四元氏)

次世代に向けた取り組みは、岩田社長のハッカソンにも引き継がれている。ものづくりに取り組む会社の仲間と「ちゃんと作るものづくりをやろう」と始めた催しが、「テックシーカー」だ。きっかけは、ソフトウェア中心のハッカソンへの違和感だったという。

「限られた時間の中で作るので、ハードウェアは養生テープで雑に固定するなど、急ごしらえのものが多かった。私としては、その出来が気になっていたんです。心の中では『ちゃんと作ってよ』と思っていました。だったら、私たちが部材費を1人5000円分持つので、1カ月ぐらいかけてチームでものを作りましょう、と始めたんです」

テックシーカーでの集合写真。関西圏以外の企業・団体とも連携し、100人規模のハッカソンへと成長している。(写真提供:共立電子産業)

テックシーカーは現在、ソフト産業プラザTEQS(大阪産業局)などが主催し、共立はゴールドスポンサーとして参加者に部材チケットを配り、日本橋の店舗からパーツ買い出しのライブ中継も担う。大手企業の協賛も広がり、2025年は100人規模で開かれた。腰を据えてハードウェアを作り上げるハッカソンとして、国内でも大きな規模だと岩田社長は手応えを語る。学習用ロボットキット「プチロボ」や電子工作教室と並び、創業者の「街ぐるみでものづくりを育てる」思想が、二人それぞれの形で受け継がれている。

海外ECの時代に――価格で競わず、パートナーとして組む

個人が海外の通販サイトから部品を直接買える時代に、実店舗と店員を抱える共立はどう向き合うのか。四元氏が、その距離感を語る。

「値段だけで考えると、下手に勝てないところなので、値段勝負はしません。付加価値をつけたり、店頭なら店員とのコミュニケーションのなかでものを売ることで差別化を図っています。保証がいる、流通としてきちんとした形で買いたい、という話になれば、やはり日本の企業から買うことになる。海外ECを完全に否定するわけではなく、棲み分けの話かと思います」

共立は、海外を競争相手とだけ見ているわけではない。中国の仕入れ業者やメーカーと直接やり取りして部品を調達し、新型コロナウイルスの感染拡大前までは、社員が何人も深圳へ買い付けに通っていた。安く仕入れて流通に乗せる現場の足は、いまも海外に伸びている。

規模で勝る海外勢について、岩田社長はこう考える。

「海外のサイトは規模が大きいので、協力関係を築きながら、双方の強みを生かせる形が作れればいいと思っています。お客様はそれぞれ違いますし、足を引っ張り合うのではなく、補い合いながら市場全体の利便性を高めていければと考えています」

その協業を具体化した一つが、2025年10月に始めたFarnell(ファーネル)との連携だ。Avnet傘下で英国発の世界的な電子部品代理店であるFarnellの取扱製品を、共立エレショップ経由で取り寄せられるようにした。およそ50万点に及ぶカタログを国内のサイトからワンストップで注文でき、納期はかかるものの、自社の在庫だけでは届かなかった幅広い需要に応えられる。海外ECに価格で押される一方で、海外の大きな流通そのものを自社の品ぞろえに取り込む。安さを競うのではなく、互いの強みを活かし合う関係づくりを目指した。1996年に通販を始めて以来、共立は時代ごとに距離の取り方を変えながら、海外と向き合い続けている。

海外だけでなく、国内企業との連携も積極的に進めている。自作キーボードで有名な遊舎工房とも取引を開始し、自作キーボード関連の商品も扱う。(写真提供:共立電子産業)

それでも日本橋で――半世紀の哲学が向かう先

これからものづくりを始める人へ、二人の言葉は対照的でいて、根は同じだった。四元氏は、作りたいものに寄り添う姿勢を崩さない。

「電子工作は、やり出すと面白い。その面白さを少しでも伝えられたら。何か作りたいというものがあれば、そのお手伝いをしていきたい。知ることに喜びを持つ人も、作ること自体に喜びを持つ人もいる。新しいものを想像するクリエイティブなところは、僕たちもお手伝いできると思うので、ぜひお店に来てほしい」

近年は外国人観光客も増えたこともあり、店舗入口には観光客向けの商品も用意する。

岩田氏の言葉には、危機感がにじむ。

「趣味は電子工作ですと言ってくれる人を、1人でも多く増やしたいですね。少子高齢化で人口が半減に向かう一方で、いろんな世界に行ける世の中で、我々が商売とする分野のファンは増やさないといけない。アニメや映画などの他ジャンルに負けないように、しっかりとやっていきたい」

その危機感は、店の品ぞろえの考え方にも通じている。多くの店が手を引くなかで少量生産のオーディオ関連製品にこだわり続けるのは、趣味でオーディオをやるならまず共立、と思ってもらえる場所でありたいからでもある。そうして選ばれ続けることが、電子工作やものづくりのファンを他の趣味に逃さないための、一つの手立てになっている。

通販でもイベントでも、手伝えることがあれば手伝う。蘇建源氏が店頭で示した「客に寄り添う」流儀は、半世紀を超えて、店とデジット、通販、ハッカソン、そして街の連絡会という複数の形で次の世代へ手渡されようとしている。オンラインで世界中から部品が届く時代にも、共立電子産業は日本橋という土地でその原点を手放さない。スイッチサイエンスがオンラインで間口を広げたとすれば、共立は街と対面で、ものづくりの入り口を支え続けている。

共立電子産業が力を入れるオーディオ関連エリア。少量生産のオーディオ機器を同社では「クラフトオーディオ」と定義し、業界に精通したスタッフが商品の買い付けや顧客対応を行う。

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越智 岳人

FabScene編集長。オープンソースハードウェアや3Dプリンター、デジタルファブリケーション、ハードウェアスタートアップを専門領域とする。 大学卒業後、複数の業界でデジタルマーケティングに携わる。2013年当時に所属していた会社でwebメディア「fabcross」の設立に参画。12年間に渡ってサイト運営に従事し、月間100万PV規模に成長させる。並行して国内外のハードウェア・スタートアップやメイカースペース事業者、サプライチェーン関係者など100人以上取材。 2017年に独立、2021年にシンツウシン株式会社を設立。編集者・ライターとして複数のオンラインメディアに寄稿するほか、企業のPR・事業開発コンサルティングやスタートアップ支援事業に携わる。 2025年にFabSceneを設立。ハードウェアとデジタルファブリケーションの「現場」を一次取材で記録することをミッションとする。趣味は365日働ける身体作りと古着屋巡り。