東京大学大学院理学系研究科の中辻知教授らの研究グループが、コンピュータの情報を書き換えるスイッチング動作を現行CPUの1000倍以上の速さで実現しながら、発熱もほとんど生じない新しい素子を実証した。論文は2026年5月14日に科学誌Scienceに掲載された。
コンピュータは「0」と「1」の切り替え(スイッチング)を積み重ねて計算する。この切り替えを速くしようとすると、従来の仕組みでは急激に熱が発生し、素子が壊れやすくなるという問題があった。現在のCPU・GPUが「ナノ秒(10億分の1秒)」より速い動作を実用化できていないのはこのためだ。研究グループはその1000倍速い「ピコ秒(1兆分の1秒)」領域での動作を目指し、根本的に異なるアプローチをとった。
鍵となるのは、マンガンとスズからなる特殊な磁性材料「Mn₃Sn(マンガン・スリー・スズ)」だ。通常の磁石は原子の小さな磁石が全部同じ方向を向いているが、Mn₃Snは隣り合う原子の磁石が互いに打ち消し合うように配列する「反強磁性体」の一種で、外から見ると磁力がほぼゼロに見える。ところがこの材料は内部に特殊な磁気秩序(クラスター磁気八極子)を持ち、電子がもつ「スピン(自転)」の動きを利用した量子力学的な仕組み(スピン軌道トルク)で状態を書き換えられる。熱に頼らず角運動量を直接使うためエネルギー効率が高く、発熱が極めて小さい。
実験ではMn₃Sn薄膜に最短40ピコ秒の電気パルスを与えて磁気状態を書き換えることに成功した。1ビットあたりの消費エネルギーは約1フェムトジュール(電球1秒の10兆分の1)という極めて小さな値で、パワー密度は既存のピコ秒スイッチング素子の10分の1以下だった。さらに10¹¹回(1000億回)以上の繰り返し動作を実証し、高い耐久性を確認した。また、通信に使われる波長1.55マイクロメートルのレーザーと光電変換器を組み合わせた60ピコ秒の光電流パルスでも250回エラーなくスイッチングを確認しており、光信号を直接メモリへの書き込みに使う「スピントロニクス光電融合技術」の基礎実証にもなった。
生成AIの普及でデータセンターの消費電力が急増する中、演算器とメモリの間のデータ移動がボトルネックになる「メモリウォール問題」の解決が求められている。この成果は将来的に、超高速かつ超低消費電力のメモリ素子としてデータセンターのI/O省エネ化に応用できる可能性があり、基礎研究から実用技術への橋渡しとして注目される。