普通の磁石は、周囲に目に見えない磁場を発する。これが冷蔵庫のドアにメモを留める力の正体だが、電子部品を小さく集積したい場面では大きな問題になる。すぐ隣の部品に磁場が干渉してしまうからだ。
デンマーク工科大学(DTU)を中心とする国際研究チームは、内部では磁気が強く秩序づけられているのに、外側にはほぼ磁場が漏れない不思議な磁性材料を開発したと発表した。研究成果は2026年4月23日付で科学誌Nature Chemistryに掲載された。
開発された材料は「Cr(pyrazine)3」と呼ばれる金属-有機フレームワークで、3次元立方ReO3型構造を持つ。クロム原子(Cr3+イオン)が、有機分子であるピラジンによって規則的に連結されている。ここでのピラジンはラジカル(不対電子を持つ状態)として存在し、それ自体が磁気の担い手として働く。クロム側とラジカル側の磁気モーメントが反対方向に向き合い、互いをほぼ完全に打ち消し合うことで、内部の磁気秩序は強いまま、外側にはほとんど磁場が現れない。こうした材料は「補償フェリ磁性体」と呼ばれ、長く理論的に注目されてきた一方、これまでは特定の温度でしか成立しないものがほとんどだった。
DTUのKasper Steen Pedersen教授は「電子工学で問題を起こすような磁場を持たない、よく秩序づけられた磁気構造を備える材料を、私たちは手にした」と説明する。研究チームには、フランスのEuropean Synchrotron Radiation Facility(ESRF)、Institut Laue-Langevin(ILL)、コペンハーゲン大学、ポーランドのJagiellonian University、チリのUniversidad Andrés Belloが参画している。ESRFのID12ビームラインでX線吸収分光を、ILLで中性子粉末回折を行い、原子レベルの磁気構造を確認した。測定の結果、磁気のほぼ完全な打ち消しは特定の温度に限らず幅広い温度域で持続し、室温を十分上回る条件でも長距離の磁気秩序が観測されたという。
応用の出口として有力視されているのが「スピントロニクス」だ。電子の電荷ではなく「スピン」で情報を扱う技術で、より高速で消費電力の小さい電子部品の実現が期待されている。
外部に磁場をほぼ発しない材料があれば、互いに干渉せずに部品を高密度で並べられる可能性がある。ただしPedersen教授は「完成した技術ではなく、多くの研究者が長年探してきた特性の組み合わせを実現できることを示した段階だ」と慎重な姿勢を示す。今後は電気伝導性などほかの特性を化学的に調整できるかや、電子回路に組み込むための薄膜化が課題となる。