
1990年代はじめ、製造業で設計の仕事をするには、まず数千万円の出費を覚悟しなければならなかった。
機械設計の現場で使われていた3次元CADシステム「CATIA」は、ソフトウェアのライセンスだけで1シート数百万円。それを動かすためのUNIXワークステーションと合わせると、設計環境1式で数千万円になることも珍しくなかった。設計とは、巨大な資本を持つ企業だけができることだった。航空機や自動車の設計部門、あるいは防衛産業——そういう場所にしか、3D CADは存在しなかった。
2026年現在、3D設計作業ゼロ円から始められる選択肢がある。
ブラウザーを開けば、プロが使う水準のCADツールが無償で動く。インストールも、支払いも、審査もいらない。家庭に一台の3Dプリンターがあれば、設計から出力まで個人で完結できる。企業の特権だった行為が、Makerの日常になった。しかし、過去を知る人は、これを手放しに喜べないことを知っている。
この変化は、どのようにして起きたのか。そして「無料」という言葉は、なぜいつも少し緊張を孕んでいるのか。
CADソフトウェアの民主化を、40年分たどってみよう。
設計は「企業だけの特権」だった——産業用CADの誕生
コンピューターで図面を描くという発想の起源は、1963年にさかのぼる。MITのIvan Sutherland(アイバン・サザーランド)が、TX-2コンピューターの画面に光ペンで線を描き、図形を編集できるシステム「SKETCHPAD(スケッチパッド)」を開発した。直線を引き、角度を定義し、図形の関係を保ちながら修正できる——今日のCADの基本的な考え方が、そこにあった。Sutherland氏はこの研究でのちにチューリング賞を受賞している。

しかしその後20年近く、CADは企業と政府機関の占有物のままだった。1970年代に登場した産業向けCADシステムは1台数億円の専用機で動き、操作には専門のオペレーターが必要だった。設計者自身が触る道具ではなく、設計部門の中に「CADオペレーター」という職種が存在するような世界だった。
代表的なシステムがCATIAだ。ロッキード(Lockheed)社が2次元CADとして開発し、IBMが販売を担った「CADAM」のソースコードをDassault Aviationが1975年に取得し、3次元CADとして発展させたのが「CATIA」だ。他にもComputervisionのCADDS、McDonnell DouglasのCADDといったシステムが存在したが、いずれも数億円規模の専用機に依存しており、製造業の設計は莫大な初期投資を正当化できる一部の大企業だけの営みだった。
こうした高価なシステムの中にいた設計者たちも、使い勝手に不満を持っていないわけではなかった。専用のオペレーティングシステムを習得し、特定の端末でしか作業できず、設計ファイルは企業の大型コンピューターに保管される。個人でどこからでも設計できる環境など、当時は想像もできなかった。
1970年代に米Computervisionが提供していた「CADDS(キャッズ)」は、代表的な商用CADシステムの一つだ。システム全体で数千万円から億単位の費用がかかり、専用のオペレーターが操作するものだった。日本の製造業にも輸入され、工場の設計部門に導入されたが、それはあくまで大企業の話だった。この状況を変えたのが、パーソナルコンピューターの登場だった。
5万9000ドルの賭け——13人がAutoCADを作った日

1982年1月、カリフォルニア州マリン郡に住む13人のプログラマーたちが、合計5万9000ドル(当時のレートで約1300万円)を出し合って会社を設立した。
名前はまだなかった。後に「Marin Software Partners」から「Autodesk」に落ち着くその会社が最初に手がけたのは、一本の設計ソフトウェアだった。
リーダーはJohn Walker。コードは書けるが、経営者タイプではないと周りから見なされていた人物だ。創業メンバーの一人Mike Riddleが書いていた設計用プログラム「Interact」に目をつけた Walkerは、それをIBMのパーソナルコンピューターで動かすことを考えた。Riddle氏にはプログラムの権利として1ドルプラス売上ロイヤリティが支払われ、後に1000万ドル以上で精算されている。
1982年3月19日、彼らはサンフランシスコで開かれたコンピューターの見本市に1200ドル(約26万円)のブースを借りて出展した。名称はまだ「MicroCAD」。のちにAutoCADとなるソフトウェアの最初の公開だった。
そのブースは会場で話題になった。当時、CADといえば数千万円の専用機でしか動かないものだった。それがIBMのパーソナルコンピューターで、動いていた。同じ見本市に出ていたほかのベンダーたちが、自社PCの性能を見せるためにこぞってAutoCADのデモを使ったほどだった。
同年12月、ラスベガスで開かれた業界最大の展示会COMDEXでAutoCADを本格披露すると、注文が殺到した。会社は翌年に正式に「Autodesk」として立ち上がり、1985年には上場を果たした。1989年には、パソコン向けCADソフトウェアの市場シェアで60%を超えた。

ただし、「安い」といってもあくまで当時の産業用システムとの比較だった。1980年代のAutoCADは数万円から数十万円の価格帯で、個人が気軽に買える道具ではなかった。主な導入先は中小の設計事務所や建設会社、製造業のエンジニアリング部門だった。AutoCADが変えたのは「どのハードウェアで動くか」であり、「誰でも使えるか」ではなかった。設計はまだ、組織の業務だった。
それでもこの変化は大きな意味を持った。設計の道具が特定の専用機に縛られなくなったことを、業界全体に示したからだ。AutoCADが切り開いた「PCで動くCAD」という概念は、次の世代に引き継がれていく。そしてAutoCADの成功は、CAD業界の構造そのものを変えた。専用機メーカーとソフトウェアメーカーが分離し、コンピューターの性能向上に合わせてソフトウェアが進化するモデルが業界の標準になった。
1980年代後半から1990年代はじめにかけて、AutoCADは「業界の共通語」としての地位を確立した。AutoCADが採用した図面フォーマット「DWG」と「DXF」は、CAD業界の事実上の標準フォーマットになり、他のCADベンダーも対応を余儀なくされた。一つの製品が業界標準を定義するほどの影響力を持つことは、ソフトウェアの世界でも珍しいことだ。

ただし、AutoCADは2次元の製図ツールとして発展した部分が大きく、3次元のモデリングは後発だった。航空機や自動車のような複雑な3次元形状を扱うには、より高度なシステムが必要だった。この3Dへの需要が、次の転換点につながっていく。
日本でのAutoCADの普及も、この時代に加速した。建設業や機械設計の現場で2D CADが導入され、手描きの製図板からの移行が進んだ。設計の「デジタル化」という意味では、AutoCADの時代に日本のものづくり現場でも大きな変化があった。ただ、それはあくまで「専門職の仕事をデジタルに変える」という段階であり、個人Makerとは遠い話だった。
ちなみに創業当初にリーダーを務めたWalkerは2024年に鬼籍に入っているが、生前に創業当初のエピソードや貴重な写真をまとめたウェブサイトを遺している。
カジノの賞金100万ドルが生んだSolidWorks

1990年代はじめ、CADの世界はWindowsへの移行期にあった。既存の大手がUNIXワークステーションを守りながら市場に居続ける中、MITの機械工学科を卒業したJon Hirschtick(ジョン・ハーシュティック)は、まったく別のルートから資金を調達しようとしていた。
Hirschtickは学生時代、MITのブラックジャックチームのメンバーだった。確率計算とカードカウンティングの技術を組み合わせ、ラスベガスのカジノで利益を上げることを目的とした集団で、後に書籍と映画『21』の題材になった。Hirschtickは「映画の主人公のモデルは自分ではない」と本人が否定しているが、チームの中心的メンバーの一人だったことは確かだ。
1993年12月、Hirschtickはその活動で得た100万ドル(当時のレートで約1億円)を元手に、SolidWorksを設立した。目標はシンプルだった。Windows PCで動く、誰でも使えるパラメトリック3DモデリングCADを作ること。
「パラメトリックモデリング」とは、部品の寸法や形状を数値として管理し、その数値を変えるだけでモデル全体を更新できる設計手法だ。設計変更のたびに多くの図面を手直しする必要がなく、製品開発のサイクルが大幅に速くなる。この手法はすでにPTC(ピーティーシー)の「Pro/ENGINEER」として製品化されていたが、価格は1シート数百万円。しかもWindowsで動くバージョンは存在しなかった。
Hirschtickが見ていたのはその空白地帯だった。Windowsが一般に広まりつつある中、企業の設計者たちは使い慣れたWindowsのUIでCADを使いたいと思っている。しかし対応製品がない。そこに入ればいいと考えた。
2年後の1995年、最初の製品「SolidWorks 95」がリリースされた。価格は4000ドル(当時のレートで約43万円)。当時の競合品が1万8000ドル前後だったことを考えると、大幅な低価格化だ。インターフェースはWindowsのUIに沿って設計され、習得に3か月あれば実用レベルに達するとされた。それまでの高価なシステムで「3年の習熟期間が必要」と言われていたのとは対照的だった。
SolidWorks 95は機械設計の現場に急速に広まった。大企業の設計部門だけでなく、中小の製造業や設計事務所が導入し、高価なシステムへの依存から脱する手段になった。「Windowsで動く3D CAD」という市場を開拓したことで、Autodesk、PTC、Siemensといった既存の大手も次々とWindows対応版の開発に着手した。SolidWorksが業界全体の方向性を変えたとも言える。
1997年、フランスのDassault Systèmes(ダッソー・システムズ)がSolidWorksを3億1000万ドル(当時のレートで約372億円)で買収した。買収後もSolidWorksブランドは独立したかたちで展開を続け、Dassaultによると数百万人規模のユーザーを持つとされている。
Hirschtick氏はDassault傘下に入った後も長く同社に留まり、2012年にSolidWorksを離れると、新たなプロジェクトを立ち上げた。その名はOnshape(オンシェイプ)。今度はWindowsだけでなく、ブラウザー上で動くクラウドネイティブCADだ。ファイルのインストールも保存も不要で、URLを開けばすぐに設計を始められ、複数人が同時に同じファイルを編集できる。SolidWorksを「UNIXからWindowsへ」移行させた人物が、今度は「ファイルベースからクラウドへ」という転換を試みた。同社は2019年にPTCが4億7000万ドル(当時のレートで約513億円)で買収している。
SolidWorksの誕生から30年で、CADの業界構造は大きく変わった。ワークステーション専用の高価なシステムだったCADは、Windows PCで動く数十万円のツールになり、さらにブラウザーで動く無償のツールになった。
価格の変化だけではなく、設計の「場所」も変わった。かつては企業の設計部門にしかなかったCADが、個人の自宅に入り込んだ。3Dプリンターが登場するはるか前から、CADを独学で学ぶ個人は存在した。そうした人々が、2010年代に3Dプリンターと出会い、自分が設計したものを形にするという体験を得た。この流れが、次の変化を準備することになる。
ゼロ円の前夜——TinkerCADとFusion 360が変えた前提
ここで、価格の変遷を改めて整理しておきたい。
1990年代はじめの産業用3D CADが数百万〜数千万円。SolidWorks 95が4000ドル(約43万円)でその市場に参入した。Autodeskもその後3D CADの分野に本格進出し、「Inventor」を1999年に投入した。これらのツールが数万円から十数万円の価格帯を開拓していく中、2000年代にはより廉価な製品も増えてきた。それでもなお、数万円という費用は個人にとって小さくなかった。
この「趣味でCADを使いたいが費用を払えない」という層を、Autodeskは「学生・スタートアップ向け無料版」という形で取り込もうとしてきた。2000年代後半からこうした施策が整備されはじめ、2013年のFusion 360が決定版となった。
この「無料化」は、CADをめぐるビジネスモデルの転換でもあった。かつて1本数百万円のライセンスを売ることで成立していたビジネスが、無償ユーザーのコミュニティを資産として成長させる形に変わった。月額課金の商用プランを使う企業ユーザーが収益の柱となり、無償ユーザーは人材育成と広告効果を担う構造だ。個人ユーザーにとっては「タダで使える」という恩恵があるが、その関係は常に非対称だ。
Makerムーブメントが盛り上がりを見せはじめた2010年代のはじめ、CADソフトウェアの地図が変わりはじめた。
その象徴の一つが「TinkerCAD(ティンカーキャド)」だった。2011年、元Googleエンジニアのkai Backmanと共同創業者Mikko Mononenが開発したブラウザーベースの3Dモデリングツールだ。
「mind to design in minutes(頭の中をデザインに、数分で)」というコンセプトのもと、インストール不要、アカウント登録だけで使える設計環境を目指した。操作方法は徹底的にシンプルで、直方体や球など基本図形を組み合わせるだけで3Dモデルが作れた。従来のCADが持っていた「難しいもの」というイメージを、根本から変える試みだった。子どもでも使えるレベルの入門ツールとして普及し、多くのモデルが公開されるほど広まった。
だが、同社はすぐに資金難に直面した。2013年、Backmanはサービスを同年6月末に終了すると告知した。新プロジェクトへのリソース集中が理由とされた。
その発表から約1か月後の2013年5月、AutodeskがTinkerCAD買収を発表し、サービスは継続された。「アクセシブルな3Dデザインのビジョンを共有している」というのがAutodesk側の説明だった。買収金額は公開されていない。Autodesk傘下では「123D」ファミリーの一員として位置づけられた後、123Dスイートの終了(2017年)後も独自ブランドとして存続した。TinkerCADは現在も無償で提供されており、世界中の学校の授業でも広く使われている。
Autodeskが同じ時期に動かしていた布石が、もう一つあった。2013年、同社は「Fusion 360(フュージョン360)」の提供を開始した。
Fusion 360は、3DモデリングからCAM(コンピューター支援製造)、基板設計(PCB)まで一体化したクラウドベースのツールだった。従来のCADとCAMが別々の高価なソフトウェアで提供されていた状況を、一つのツールに統合した。そして、個人・スタートアップ・学生向けに無償ライセンスを提供した。月額数万円するプロ向け製品と同等の機能が、申請さえすればゼロ円で使えた。
3Dプリンターの普及との相乗効果が大きかった。2010年代後半、数万円で買える家庭用3Dプリンターが一般に広まりはじめ、「設計ファイルさえあれば、すぐ形にできる」という環境が整いつつあった。Fusion 360はその設計ファイルを作る道具として、Makerコミュニティに急速に浸透した。
小型の工作機械やCNCルーターを自作・改造するユーザーたちは、Fusion 360のCAM機能を使って工具経路を生成するようになった。基板設計者はECAD(電子CAD)との統合を活用し、メカとエレキを一つのツールで扱えるようになった。設計と製造が一つのツールでつながる体験が、個人の工房でも成立しはじめた。
YouTubeには、Fusion 360の使い方を解説する動画が大量に投稿され、それ自体がコミュニティの資産になっていった。Autodeskはそのコンテンツから多大な恩恵を受けた。ユーザーが無償で作成した解説動画や、フォーラムに蓄積された情報が、新たなユーザーを引き込む教育資源になった。2020年時点で、Fusion 360の月間アクティブユーザーは64万5000人に達していた。Autodeskは発表文の中で「7年間でゼロから64万5000人まで成長した」と誇らしく記した。その数字が、次の出来事の背景にある。
Fusion 360の無償提供がここまで広まった背景には、Autodeskの戦略的な意図もあった。学生やホビイストが無償版を使って設計の習慣をつければ、将来的に企業の設計部門で有償版の導入を促す力になる。無償ユーザーがコミュニティを形成し、その活動がマーケティング資産になる。「無料」は贈り物ではなく、長期的な投資だった。その前提が変わると、コミュニティとの関係も変わる。
「民主化」を謳いながら——2020年の制限騒動
2020年9月16日、AutodeskはFusion 360のWebサイトに記事を公開した。タイトルは「Changes to Fusion for Personal Use(個人利用向けFusionの変更について)」。変更の内容は次のようなものだった。
プロジェクトのストレージが、アクティブなドキュメント10件に制限される。シミュレーション、ジェネレーティブデザイン(AIが形状を自動提案する機能)、カスタム拡張機能は削除される。製図は1枚のシートのみに制限される。そして、設計データを他のソフトウェアへ移行するために広く使われる「STEPファイル」の書き出しが、2020年10月1日をもって廃止される。
Hackadayはこのニュースを翌日に報じた。記事には314件のコメントが集まった。Hackadayのコメント欄は技術者やMakerが多く、感情的な批判と冷静な分析が混在する場所だ。今回のコメントでは「無料版を廃止しないだけ感謝しろという態度」への反発や、「どうせ有料版に誘導するためだろう」という見方が目立った。r/Fusion360(Fusion 360のRedditコミュニティ)にも専用のスレッドが立ち、ホビイストとして活動を続けることへの深刻な懸念が相次いだ。
特に問題視されたのは「10件制限の逆説」だった。アセンブリで複数のパーツファイルを参照する設計をすると、アセンブリ本体と各パーツファイルがそれぞれ1件としてカウントされる。部品を独立したファイルに分けて管理し、別のプロジェクトでも再利用するという「良い設計習慣」そのものが、10件制限のもとでは枠を圧迫する。例えばネジや標準部品のファイルを別途持っていれば、それだけで枠の多くが埋まってしまう。ツールが「正しい設計の方法」を罰する構造になっていた。
「個人利用ライセンスの問題は、オープンソースライセンスと同じものだと思い込みやすい点にある。条件を変えると、みんな嫌な思いをする」という指摘も出た。無料だから安心して使えると思っていた道具が、実はいつでも変更されうる——その前提をユーザーが受け入れていたかどうかが問われた。
特に反発が強かったのはSTEPファイルの廃止だった。3Dプリンターや他のCADとの互換性を保つために広く使われているフォーマットの書き出しを失うことは、設計データのポータビリティを根本から損ねる変更だった。
発表文には「democratizing design for everyone(すべての人へのデザインの民主化)」という言葉が登場した。Autodeskが長年掲げてきたスローガンと今回の制限強化が、同じ文章の中に並んでいた。
しかし、その9日後の9月25日、Autodeskは方針を転換した。STEPファイルの書き出しは維持すると発表し、ブログには「この変更はホビイストコミュニティに意図しない影響を与えた」という一文が加えられた。コミュニティからの反発を受けて撤回したかたちだ。
しかし他の変更は予定通り進んだ。10件のドキュメント制限は2021年1月19日に発効した。
FreeCADやOnshapeへの移行を宣言する声が多く上がった。Fusion 360は非商用の個人利用に限り現在も無償で提供されているが、「無料であることが保証されたツール」への信頼は、この出来事を境に揺らいだ。ユーザーは「無料」と「自由」が異なることを、改めて突きつけられた。
2020年の制限変更は、個人ユーザーだけの問題ではなかった。オープンソースハードウェアのプロジェクトを進めていた開発者は、無償で共有していた設計ファイルをFusion 360で管理していた場合、制限によってファイルの管理が難しくなった。「(自分の)オープンソースプロジェクトをFusionで何百時間もかけて開発してきたのに、この変更で完全にダメになる」という趣旨のコメントも実際に出た。個人の設計だけでなく、コミュニティが共有資産として積み上げてきた設計データにも、商業ソフトウェアのライセンス変更は影響する。
10万ユーロでソフトを買い戻す——Blenderの奇跡

同じ時代に、まったく別の方向から「設計ツールの自由」を語った場所がある。3Dコンピューターグラフィックスのソフトウェア「Blender(ブレンダー)」のコミュニティだ。
Blenderの歴史は1994年にさかのぼる。オランダのアニメーションスタジオNeoGeoの内部ツールとして開発が始まり、1998年に一般公開された。開発を引き継ぐためにTon Roosendaal(トン・ローゼンダール)が設立した「Not a Number(NaN))」という会社は、2002年3月にドットコムバブル崩壊の直撃を受けて破産した。
ソフトウェアの著作権は破産した会社の資産として債権者の手に渡った。開発は止まり、コードはそのまま消えてしまいかねない状況になった。ユーザーコミュニティはBlenderを失うことへの強い危機感を持っていた。
Roosendaal氏はNaNの債権者たちと交渉し、10万ユーロ(当時のレートで約1000万円)を集めれば、Blenderのソースコードをコミュニティに放出するという合意を取り付けた。
2002年7月18日、「Free Blender」と名付けたキャンペーンが始まった。「クラウドファンディング」という言葉が存在しなかった時代、インターネット上でソフトウェアの自由を買い戻そうという試みだった。周囲には無謀だと笑う人もいたという。
目標の10万ユーロは7週間で達成された。後に振り返れば、これはクラウドファンディングの先駆けであり、コミュニティがソフトウェアの未来を手元に引き寄せた先例だった。2002年10月13日、BlenderはGNU GPL(GNU一般公衆利用許諾書)のもとでリリースされた。誰でも無償で使え、ソースコードを見られ、改変でき、同じ条件で再配布できる。このライセンスのもとでは、会社が倒産しても、買収されても、コードは消えない。コミュニティが管理する限り、ソフトウェアは存続する。
その後のBlenderはいくつかの困難な時期を経て、2019年7月30日のバージョン2.80での大規模な刷新を経て、インターフェースが劇的に使いやすくなった。それまでのバージョンは操作体系が独特で、習得の難しさを批判されることも多かったが、2.80以降は多くのユーザーが乗り換えを宣言するほどの変化があった。映像制作、ゲーム開発、建築ビジュアライゼーション、3Dプリント向けモデリングまで幅広い用途で使われている。第97回アカデミー賞(2025年3月)では、Blenderで制作した映画「Flow(原題:Straume)」が長編アニメーション賞を受賞した。
GPLというライセンスは、企業の意思決定に左右されない自由を保証する。Autodeskがある日Fusion 360の無料版を廃止しても、Blenderのソースコードは残る。この違いはコミュニティにとって決定的だ。
同様の思想でCADの分野を開こうとしているのがFreeCAD(フリーキャド)だ。2002年から開発が続く完全オープンソースの3D CADで、2023年8月リリースのバージョン0.21から実用性が大きく向上し、さらに2024年11月にバージョン1.0が正式リリースされた。パラメトリックモデリングに対応しており、3Dプリント向けの部品設計や機械設計の分野で使われはじめている。商用CADと比べると学習コストは高いが、ライセンスがLGPL(劣位GNU一般公衆利用許諾書)であるため企業や学術機関でも導入しやすく、基板設計ツールKiCadとの組み合わせでハードウェア開発の完全無償ツールチェーンを構築する試みも進んでいる。

近年は、Blenderのユーザーを念頭に置いたソリッドモデリングツールも登場している。「Plasticity(プラスティシティ)」はその代表格で、製品設計向けのNURBS(曲面を数式で表現する手法)モデリングをBlenderライクな操作感で使えるようにしている。個人のプロジェクトには無償プランも用意されており、Maker向けCADの選択肢はここ数年で大きく広がった。
日本のMakerシーンに目を向けると、Fusion 360の普及は特に顕著だった。FabLab JAPANのネットワーク、Maker Faire Tokyoへの出展者たち、秋葉原や日本橋を拠点とする個人ハードウェアMakerの多くが、Fusion 360を設計の共通ツールとして採用した。日本語のユーザーコミュニティや解説動画も充実し、3Dプリンターとの組み合わせで「小ロットの製品を個人が作って販売する」という流れを支えた。
2020年の制限変更が日本のコミュニティにもたらした反応は、海外と大きく変わらなかった。「何年もかけて習得したのに」という落胆の声とともに、FreeCADへの移行方法を解説するブログ記事や動画が日本語でも多数投稿された。設計ツールをめぐる議論は、言語を超えてMakerコミュニティ全体の共通テーマになっていた。
無料と自由はちがう——2026年の設計ツール地図
2026年現在、3D設計の道具を選ぶ立場から見ると、大きく四つの層が存在する。
まず見落とせないのが、製造業の本流で使われているエンタープライズ向けの高機能CADだ。Dassault Systèmesの「CATIA」は自動車・航空機の外装曲面設計における事実上の業界標準で、BMWやTesla、エアバス、ボーイングなどが採用している。Siemensの「NX」はロッキード・マーティンやボーイングなどの航空宇宙・防衛分野で強く、2016〜2021年にはCATIAの50%速い速度で成長したとCIMdataの推計は示している。PTCの「Creo(クレオ)」は防衛・重工業・医療機器分野で広く使われ、Blue Originのロケット設計にも採用されている。これらはいずれも1ライセンスあたり数百万円以上の費用がかかる法人向けツールであり、AutoCADやSolidWorksとも、Fusion 360やFreeCADとも異なる市場に位置する。製造業で「CADを使っている」という場合、その現場はこの層にいることが多い。
次に、中堅・中小の機械設計現場で広く使われる商用ツール群がある。AutoCAD、SolidWorks、Fusion 360などがここに含まれる。AutoCADはCADソフトウェア全体で約39%のシェアを持つ最大手で、2D製図の標準として建設・建築・設備設計で深く根付いている。SolidWorksは数百万人規模のユーザーを持ち、中小製造業の機械設計の共通言語だ。Fusion 360の個人利用版は非商用に限り無償で使えるが、2020年の出来事はその脆さを示した。ライセンス条件は企業側の意思決定で変わりうるという現実は、このカテゴリー全体に共通する。
もう一つは、クラウドネイティブな新世代ツールだ。OnshapeはWebブラウザーのみで動き、ローカルへのインストールが不要だ。PTC傘下ではあるが、無料プランも存在する。設計データはクラウドに保存され、デバイスを問わず作業を続けられる。複数人が同時に同じファイルを編集できる機能は、チームでの製品開発に特に有効だ。TinkerCADも引き続き無償で提供されており、世界中の学校で授業に使われている。
三つ目が、オープンソース系だ。FreeCADは2023年のバージョン0.21以降から実用性が大きく向上し、2024年11月にバージョン1.0が出た。パラメトリックモデリングに対応し、3Dプリント向けの部品設計や機械設計に実用できるレベルに達している。ライセンスがLGPLであるため、企業が組み込んだ製品を販売する際にもソースコードの公開義務が緩和されており、商用環境での採用も増えている。
Blenderも3Dプリント向けのモデリング用途では実用水準に達している。特に有機的な形状や、アーティスト系の造形物を3Dプリントしたい場合には、Blenderのスカルプト機能が有効だ。Fusion 360などのソリッドモデリング系ツールが得意とする精密な機械部品とは異なる用途で、Makerコミュニティの中でBlenderは独自の位置を占めている。
FreeCADやBlenderとKiCadを組み合わせれば、機構設計から基板設計まで、完全無償のハードウェア開発ツールチェーンが成立する。ものを設計する権利が、ソフトウェアにかかるコストによって左右されなくなりつつある。
日本のMakerコミュニティにとっても、Fusion 360は特別な存在だった。Autodesk Japan主催の「Fusion 360 Meetup」は2021年時点で第19回を数え、Vol.03での発表では、日本のユーザー数が世界2位に浮上したと報告された時期もあった。
2020年の制限変更に対し、Autodesk Japan公式アカウントも「世界中のユーザー様から多くのお問い合わせやご意見をいただいた」と投稿し、STEPエクスポートの除外を個別に発表した。日本語コミュニティも同様の反発を示した。
建築やプロダクトデザインの領域では、Rhinoceros(ライノセラス)も重要な存在だ。NURBSベースのモデリングに特化し、パラメトリック設計プラグイン「Grasshopper(グラスホッパー)」との組み合わせで建築家や工業デザイナーに広く使われている。3Dプリントとの親和性も高く、有機的な形状を扱う設計者にとっては欠かせないツールだ。Makerコミュニティへの直接的な浸透はFusion 360やFreeCADほどではないが、デジタルファブリケーションを使い倒すデザイン系のMakerには馴染み深い。
こうしたオープンソースの選択肢の充実は、設計ツールの市場に新たな競争圧力をもたらしている。Autodeskを含む商用ツールのベンダーは、無償版や廉価版の提供を続けなければ、オープンソースへのユーザー離れが加速するという現実に直面している。Fusion 360が2020年の制限変更に対するコミュニティの反発を受けてSTEP廃止を撤回したのも、この競争圧力の現れとも読める。オープンソースという「出口」があることが、商用ツールの過度な制限を抑止する働きをしている。
個人Makerが自分のプロジェクトにどのツールを選ぶかは、ますます「何ができるか」だけでなく「どんな条件で使えるか」を見る判断になっている。月額費用がかかるか、データをクラウドに置かなければならないか、ライセンスが変わったときに設計データを別ツールに移せるか——こうした観点がツール選択の基準として意識されるようになったのは、2020年の出来事が一つのきっかけになった。
1982年にパーソナルコンピューターで動かすことが「革新」だった道具が、2026年にはブラウザーで動き、無償で使える。40年間の積み重ねがそこにある。
ただし、歴史が示すのは「無料」が永続するわけではないということだ。AutodeskがFusion 360の条件を変えたことも、TinkerCADがシャットダウン直前まで行ったことも、そのことを教えている。ユーザーが数年をかけて積み上げたスキルと設計データが、ライセンスの変更一つで使い続けられなくなるかもしれない——その可能性は、どのツールを使う際にも意識しておく必要がある。
設計データの「移動しやすさ」も、ツール選択の重要な軸になってきた。Fusion 360の騒動でSTEPファイルの廃止が反発を招いたのは、そのファイルフォーマットが「別のツールに移れる自由」の象徴だったからだ。特定のベンダーのフォーマットだけで設計データを保持することは、そのベンダーとの関係に縛られることを意味する。設計の自由は、ファイルフォーマットの自由と切り離せない。
Blenderのコミュニティが10万ユーロを7週間で集めたことも、別の角度から同じ教訓を示している。ライセンスに刻まれた自由は、コミュニティが代価を払って買い取ったものだった。「無料で使える」と「自由に使える」はちがう。そのちがいを理解したうえで道具を選ぶことが、今の時代に個人Makerとして設計に向き合うことの、一部をなしている。
1963年にSutherland氏が光ペンで引いた直線が、個人の工房に届くまでに60年以上かかった。13人が出し合った5万9000ドル、ブラックジャックで得た100万ドル、コミュニティが7週間で集めた10万ユーロ——その積み重ねの先に、今がある。設計ツールが誰のものかという問いは、ソフトウェアが無料になった今も、問われ続けている。
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