エスカレーターで歩く人を半分に減らしたAI──名古屋発、駅の見守りシステムを支えるLiDAR技術とreComputer Jetson

エスカレーターの「片側空け」は、長年にわたって日本に定着してきた慣習だ。しかし近年、その慣習を見直す動きが各地で広がっている。2023年10月、名古屋市は政令指定都市として全国初となる、エスカレーター立ち止まり利用を義務づける条例を施行した。

しかし、ルールをつくっても人はすぐには変わらない。具体的な罰則規定がないなかで、一度定着した慣習をアップデートするのは、一筋縄ではいかないことだった。

その課題を解くため、名古屋市内の複数の地下鉄駅で新たなシステムが導入された。LiDARセンサーで歩行者を検知し、リアルタイムにアナウンスする「エスカレーター見守り君」だ。実証実験では、エスカレーター上での歩行率が15.6%から7.9%へと約半分に低下した。その後、名古屋市営地下鉄3駅、福岡市地下鉄2駅へと本格導入が進み、稼働を続けている。

このシステムを開発したのは、名古屋に拠点を置く来栖川電算だ。2003年に設立され、機械学習の黎明期から画像解析技術を積み上げてきた企業だ。長年培った人流解析のテクノロジーを、駅というハードな環境に落とし込むまでには、エッジでの安定したAI処理から、利用者の行動を変えるアナウンス設計まで、さまざまな試行錯誤があった。来栖川電算でシステム開発を先導する山口陽平氏に話を聞いた。

※ 特に記載がない限り、記事中の写真・図版は山口氏から提供されたもの。

山口 陽平氏
三重県出身、名古屋工業大学大学院修了。在学中(2003年)に有限会社来栖川電算を設立。未踏ソフトウェア創造事業での開発を皮切りに、大規模分散データベース、リアルタイムJava VM、画像認識・機械学習アルゴリズムなど、高度な計算機科学技術を社会実装。近年は、アノテーションプラットフォーム「Annofab」やデジタルツインプラットフォーム「SensoriZ」の企画・運営を通じ、自動運転やDX推進、公共インフラの知能化など、多岐にわたる領域で技術開発と事業化を牽引。
目次

AI時代に求められる20年超の開発力

来栖川電算は2003年に創業した、名古屋工業大学発のベンチャー企業だ。創業当初からソフトウェアの研究開発を中心としており、2007年頃から機械学習やコンピュータービジョン領域を扱うようになった。ディープラーニングが世に知られるよりも前の時代から、同分野の技術を積み上げてきたことになる。

来栖川電算の会社概要

当時はまだ、画像解析や機械学習を実装するための便利なオープンソースがほとんど存在しなかった。来栖川電算は必要なツールをすべて自社で作り、整理し、自分たちで使いながら顧客にも広めていった。土台から自分の手で組み上げる。創業期から変わらない来栖川電算のものづくりの流儀だ。

この数年で潮目が変わったのは、生成AIの登場だという。

「生成AIの登場によって、お客様自身でやれることが増えてきました。とはいえ、そこで生まれたシステムを安定的に使いこなすのは難しい。運用のサポートや高度な成果につなげるためのご依頼が増えています」と語る山口氏。顧客がAIに触れられるようになっても、その先を一緒に歩む相手として、来栖川電算への需要は根強い。

名古屋という地の利もあり、自動車メーカーの自動運転・先進安全技術に関わる研究開発が主力事業になっていく。その過程で深められたのが、LiDARをはじめとするセンサー技術の活用だった。LiDARは、レーザー光を照射してその反射を測定し、対象物までの距離や形状を3次元の点群データとして捉える技術だ。自動運転の世界では、周囲の障害物や歩行者を正確に検知するための中核技術として使われてきた。

LiDARで取得した点群上に、人の位置と移動軌跡を重ねて可視化した解析画面

こうして立ち上がったのが、センサー解析プラットフォーム「SensoriZ(センサライズ)」だ。LiDARを中心に据え、人や物体など現実世界の物理量をリアルタイムに検知・追跡し、具体的なアクションにつなげるシステムとして提供される。

SensoriZの目的は「人の代わりに場を見て、行動変容を促す」ことだ。たとえば大型展示施設では、来場者の流れをリアルタイムに把握し、混雑が生じたエリアへ人員を配置する判断を支援する。これまで現場のスタッフが「見て・判断して・動く」ことで支えてきた業務に、センサーが入り込みつつある。

「これから働き手が減っていくなかで、カウントや声かけを人間がやり続けるのは限界があるでしょう。センサーを効果的に使い、自動化していく必要があります」(山口氏)

工場では、危険な場所への立ち入りや走る行為を警告する。免許更新センターや空港の保安検査場では、手続きに戸惑い滞留するユーザーを検知して、案内スタッフの負担を軽減する。分析だけで終わらせず、顧客が求める課題解決まで寄り添ったサービスとして提供されている。

行政課題が生んだ「エスカレーター見守り君」

伏見駅での実証時に使用していた映像からのスクリーンショット。

「エスカレーター見守り君」が生まれたきっかけは、名古屋市の課題提示型支援事業「Hatch Technology NAGOYA」だった。エスカレーターの安全利用という行政課題に対し、来栖川電算はSensoriZの技術を応用できると考えた。

名古屋市が抱えていた課題は明確だった。エスカレーターの乗り方不良による転倒や、挟まれ事故の急増だ。高齢になるほどその傾向は強く、高齢化が進むにつれて悪化の一途をたどる。設備の大規模な更新には時間がかかり、条例施行やポスターでの啓発活動も効果は限定的だ。利用者の乗り方を変えるための、実効的な対策が求められていた。

階段上移動者、片側偏重、待機列の有無をそれぞれ判別する。
システムのイメージ図。判別の結果に基づいた音声が、自動でアナウンスされる。

システムの仕組みはシンプルだ。エスカレーターの周辺にLiDARセンサーを設置し、利用者の動きをリアルタイムで検知する。片側が空いていれば両側に立つよう促し、歩いている人を検出したら警告のアナウンスを流す。来栖川電算の技術的蓄積が、公共インフラの課題解決という新たなニーズと合致した瞬間だった。

エスカレーター上の利用者は同時に50人以上にのぼることもあるが、一人ひとりを区別しながら追跡する。1日の利用者が10万人規模の駅でも、リアルタイムの処理が止まることはない。

行動変容を促すためのエンジニアリング

名古屋市営地下鉄伏見駅での実証期間は約半年間だったが、そのうちソフトウェアの開発に充てられたのは実質2カ月弱だったという。残りの3〜4カ月は、鉄道事業者との調整、設置許可の取得、安全基準の確認に費やされた。

「鉄道事業者さんは安全性を非常に重視しており、天井に何かを取り付けたり、駅構内に機器を設置したりする場合、そのリスクを徹底的に確認します。その要求を満たすためのすり合わせに、期間のほとんどを使いました」(山口氏)

エスカレーター見守り君の設置イメージ。

システム開発は2カ月弱で完成した。検証の初期段階では、エスカレーター本体だけでなく周辺まで含めた広範囲をセンシングしたが、SensoriZの蓄積もあり、大きくつまずくことはなかったという。

むしろ苦労したのは、アナウンス内容の設計だった。どんな声を、どのタイミングで流せばエスカレーター周辺での行動が変わるのか。前例がなく、山口氏自身も「音声のアナウンスで問題が解決するかは、半信半疑なところがありました」と振り返る。

前例のない実験に、駅という公共空間の制約も重なる。安全性はもちろん、利用者が快適に駅空間を利用できる前提を崩してはいけない。そのバランスを守りつつ、アナウンスの中身や音量を細かく調整していった。人の感性や心理も対象としたエンジニアリングだ。

駅構内に設置されたLiDARセンサーとスピーカー。

「まずはできるだけ大きな音から始め、次第に絞っていく方針で、駅側の理解を得ながら進めていきました。苦情やトラブルが発生したらいつでも止められるよう、朝から夕方まで1人はそばで見守る体制も徹底しました」(山口氏)

最初のアナウンスは、緊急地震速報のようなブザー音に「条例違反です」という強いワードを組み合わせたものだった。効果は出た。しかし利用者が嫌な気持ちにならない表現へ変えていくために、ひたすらA/Bテストが続いた。1回ごとに内容を変え、歩行率への効果を測定し、最適なアナウンスを探っていく。前例のない取り組みを、物理的に繰り返すことで積み上げていった。

安定稼働を支えるエッジの選択肢「reComputer Jetson」

実験の結果、エスカレーター上での歩行率が15.6%から7.9%へと低下。およそ半減という効果を実証した。名古屋市営地下鉄伏見駅(2023年度)、福岡市地下鉄博多駅(2024年度)の2地点で効果が確認され、その後、名古屋・福岡の計5駅へと本格導入された。

導入成果のサマリー

「エスカレーター見守り君」のセンサーデータ処理をエッジで担ったのは、Seeed Studioの「reComputer Jetson」だ。データをクラウドに送信せず、センサーの隣に置いた小型コンピューターが、すべてをその場で判断する。

エッジ端末としてreComputer Jetsonが必要になった理由は、実証実験の設計とも深く結びついている。先述の通り、実証初期は「何をすれば人が立ち止まるのか」がわからない状態からスタートしたため、エスカレーター周辺を広範囲にわたってセンシングし、さまざまなパターンを試せるだけの計算能力が求められた。

システム構成
SeeedのJetson搭載製品群(Seeed K.K. エンジニアブログより引用)

「まずは、多くのアイデアを試せる規模でデータを収集しようと考えました。範囲が広くなるので、計算資源も求められる。これまでの業務ではNVIDIAのGPU上でアルゴリズムを開発していたので、それを生かせる小さな端末を探し、NVIDIAのJetsonが搭載されたSeeed StudioのreComputer Jetsonに辿り着きました」(山口氏)

選定の基準は、GPU性能やメモリ構成などのスペックだ。現場で必要な推論性能を満たせるかどうかを見ながら、モデルを選んでいく。当初は、Jetson Orin NXを搭載したreComputer J4011/J4012などを採用していた。現在は用途や必要な処理性能に応じて、Superシリーズを含めた複数のJetson搭載モデルを使い分けているという。

駅構内に設置されたキャビネット、センサー、スピーカー。

実際に駅構内へ設置する段階では、ハードウェアとしての堅牢性も問われた。安全な運用を実現するために、落下防止や不燃性など、駅構内ならではの設置条件を満たす必要があり、現在はreComputer Jetsonを含む機器類を専用キャビネットに収めて運用している。

オフィスとは異なる駅構内の電源環境に合わせ、安定して稼働させるための条件出しも必要だったが、ハードウェアとして大きな問題が生じたことはないという。

撮影条件に左右されない技術──LiDARを使いこなす

「エスカレーター見守り君」をはじめ、SensoriZシリーズの核となるセンサーはカメラではなくLiDARだ。この選択の背景には、カメラ系AIが抱える根本的な課題がある。画像認識モデルのベンチマーク性能は、現場では再現されない。山口氏はその理由を明快に語る。

「ベンチマークで良い性能を出しているモデルでも、その評価環境にかなり最適化されているため、実際の現場でスペック通りの能力が出ることは稀です。実際の現場ではカメラも環境も違い、映り方・歪み方・色味も変わってくる。ファインチューニングのためのデータを集めるのに、かなりの労力が必要です」(山口氏)

LiDARでは人の姿を色付きのデータではなく点群で捉える(図左)。

服装の違いや季節による光量変化など、ノイズのバリエーションを十分に収集しようとすれば、最低でも1年以上のデータ収集が必要になる。半年程度の実証期間では、現実的に成立しない条件だ。一方でLiDARが扱うのは、3次元の凹凸情報に抽象化された点群データだ。服装も色も光量も、判定に影響しない。

「LiDARであれば1週間ほどで、十分なデータを集められます。伏見駅では2カ月弱で判別モデルを作りましたが、1年以上経った今も性能が劣化していません」(山口氏)

LiDARが捉えるのは輪郭と距離だけなので、個人を特定する情報は写らない。駅のような公共空間や、病院のように患者のプライバシーへの配慮が欠かせない現場でも、この匿名性は導入のハードルを大きく下げている。

「鉄道駅コンコースにおける高密度人流計測及びトラッキング手法の構築」より引用(来栖川電算によるリリースはこちら)。

LiDARの社会実装が進む背景には、センサーの価格低下も影響している。かつて主流だった機械式LiDARに加え、MEMS方式などを採用した小型・低価格な製品が普及した。山口氏は「自動運転向けの量産拡大とともに、数百万円していたLiDARセンサーが、10〜20万円程度で手に入るようになった」と歴史を振り返る。今や、複数台を組み合わせたシステム構成も現実的な選択肢になっている。

たとえばJR名古屋駅のプロジェクトでは、複数台のLiDARセンサーとreComputer Jetsonを駅構内に設置し、大規模な人流を解析する。その結果をもとに、300kgの荷物を運ぶ物流ロボットを、人混みの中で動かす実証実験が進んでいる。

害獣検知のサービスイメージ。夜間でも明るさが関係なく、データを収集できるのもLiDARの強みだ。

SensoriZは農地での害獣検知でも採用されているが、分析のアプローチは異なっている。

「害獣検知で課題になるのは、猿やクマなどの学習用データを十分に集められないことです。現れる頻度が少ないので、学習ベースの手法ではうまくいきません」(山口氏)

そこで、機械学習に頼らないアプローチとして、LiDARで取得した点群を背景と前景に分離し、動いているものをクラスタリングで検出した。さらに背の高さや動きのパターンから、人間か車か害獣かを古典的な機械学習手法で判別している。

同じ技術でも、シチュエーションによってアプローチを変える。その結果、「カメラで何度試してもうまくいかなかった現場で、LiDARに切り替えたとたんに機能した」という体験をする顧客も多いという。状況に応じた手法の選び分けが、SensoriZの実用性を支えている。

働き手が減る時代、技術に求められるもの

「エスカレーター見守り君」は、設置条件やセンサー台数、運用内容に応じたサービスとして提供される。常に稼働し続けるシステムとして設計されているからこそ、ハードウェアの信頼性は事業の前提条件になる。reComputer Jetsonはその要件を満たし、駅構内での長期稼働にも応えている。「同じJetsonでも、開発者向けキットと比べて熱処理などの安定性が高い。本番環境で使うなら、やはりこうした製品が必要になる」と山口氏は振り返る。

将来的にはコストダウンと小型化を目指し、処理内容や設置環境に応じたハードウェア構成の最適化も進めていく想定だ。事業規模が拡大すれば、専用基板の導入も選択肢に入ってくるという。概念実証(PoC)段階から本格展開まで、ハードウェアの選択も事業の成長とともに進化していく。

カウンターでカチカチと数を調べていた時代から、センサーとエッジAIが人の流れを自動で把握する時代へ。社会のニーズに基づく変化の渦中で、「さまざまな業界に残るアナログな業務には、SensoriZで代替できる余地がある」と山口氏は展望を語る。

名古屋のエスカレーターで、歩く人の割合は約半分に減った。ルールが変えられなかった習慣を、技術が少しずつ書き換えている。キャビネットの中で動く小さなコンピューターと、世界を点群に変換するセンサーは、人が見て、数え、声をかけてきた仕事の一部を、静かに引き受け始めている。

本記事はSponsored記事です。
提供:Seeed Studio / Seeed 株式会社

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ライター/編集者。大学で3Dプリンターと出会いものづくりの面白さに目覚め、デジタルファブリケーションの世界へ。卒業後、研究員として2年半ほど従事したのち、ものづくりを中心としたライターとして独立。
2023年には墨田区でファブ施設「京島共同凸工所」の運営をスタート。文章と場づくりを行き来しながら、街での生活を満喫している。工房での日々を綴った自主制作本「京島の十月」が販売中。

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