
試作品はできた。だが、そこから量産できない。資金が尽き、少量の生産を引き受ける工場が見つからず、売り場にもたどり着けない。ハードウェアで起業した多くの人が、この谷で足を止める。個人が基板を海外に発注し、大企業が安価な3Dプリンターを使う時代になり、作る環境の差は縮まった。それでも、試作から量産へ移る壁だけは高いままだ。
東京都には、その谷をまたぐために設計された伴走支援がある。多摩ものづくりスタートアップ起業家育成事業(以下、当支援事業)だ。最大1300万円の費用支援と専門家の伴走で、試作から量産、そして販売までを最長2年支える。2026年度の参加者の募集は、2026年7月10日のエントリー締め切りが迫っている。
費用の支援だけでは終わらない、プロによる支援
「助成金」と聞くと、お金を受け取ってあとは自力で、というイメージを抱くかもしれない。だが、この事業はそこが違う。資金に加えて、プロジェクトマネージャー(PM)と量産経験者やVC関係者、マーケティングの専門家、商社出身のエキスパートがメンターとして開発に並走する。
試作品を作るとき、多くの起業家は「作りたい物を作る」ことに気を取られ、「売れる物を設計してから作る」という視点が抜け落ちやすい。動く物を組み上げても、売れる製品として必要な機能がなければ、事業として立ち行かない。ただ動くだけの試作と、量産につながる試作は別物だ。回路図も仕様書もないまま動く物だけを受け取っても、次の量産へは進めない。だからこそこの事業では、製造委託先にどんな仕様を出すか、納品物として何を求めるかという前提を整え、要件を固めてから開発へ進む。
メンターの一人で、製品開発と量産化の実務に通じる和田康宏氏は「ハードウェアは、お金と切っても切り離せません」と語る。限られた資金をどう使い、量産や社会実装への道筋をどこまで描けるか。技術だけを切り出さず、事業計画や資金計画と一体で見ていく姿勢だ。初期の試作の段階から量産や実際の利用現場を見据えておけば、後から生じる手戻りや余分な資金を減らせる、と和田氏は続ける。試作品を作るところまでの支援は世の中にあるが、そこから量産までには距離が残る。その間を、資金と伴走の両輪で埋めるのがこの事業の狙いだ。
工場探しから売り場まで
量産前で少量しか発注できないスタートアップにとって、引き受けてくれる工場を探すのは難しい。ここで動くのが、製造業出身でPMを務める専門家だ。開発計画書を起業家と一緒に練り、どんなプロダクトにどんな技術を持つ委託先が必要かを見極めて、工場に当たりをつける。工場が前向きなら、PMと起業家がそろって面談に出向く。要件が固まりきっていない起業家に代わり、いつまでに仕様を出し、いつ見積もりを受け取るかというスケジュールを、PMがその場で引いていく。
PMもメンターも、起業家の代わりに手を動かすわけではない。やりたいことを言語化し、要件に分解するのがPMの役回りで、メンターは製造委託先への仕様の出し方や、相手から来た要求が業界として一般的かどうかを壁打ちする。メンターの一人でプロダクトデザイナーの百崎彰紘氏は、デザインを見た目の調整にとどめない。理想の形を工場でどう作るかという製造方法の相談に乗り、小ロットや低コストの要望に合う工場を紹介し、製品の重さや物流の効率、販売価格を見据えた梱包まで踏み込む。「最初の小さなアイデアを『実際に量産して、ちゃんと売れる製品』へと育てていく」と話す。
物ができても、あてもなく実証実験先を探すのは難しい。公的な支援という枠組みだからこそ、起業家だけでは届きにくい相手にもアプローチできる。クラウドファンディングの事業会社につなぐこともあれば、国内での製造委託先が見つからなければメンターの人脈で海外の製造委託先を紹介したこともある。複雑な社会課題へ挑むプロダクトの場合、登りたい頂は見えても、そこへどう登るかが見えない起業家も少なくない。販路の足掛かりを一緒に探れるのも公的支援ならではの強みだ。また、製品が市場に受け入れられるかを確かめるテストマーケティングの機会も用意されている。
どこまで寄り添ってくれるのか

伴走の頻度は、採択者が決められる。毎週のようにメンタリングを重ねる起業家もいれば、月に一度の面談を小さな区切りとして使う起業家もいる。困ったときに別のメンターを頼る使い方もできる。決まった拠点に毎回足を運ぶ必要はなく、メンターが起業家の都合に合わせて各地へ出向くこともある。
ものづくりの経験が浅い起業家ほど、何を相談すべきかが分からないことも多い。その場合は、初回の面談で現状と、この期間で到達したい地点を確かめ、やりたいことに順序をつけて一つずつ片づけていく。何でも1人で抱え込み、頭の中が整理しきれなくなった起業家の思考を、メンタリングで解きほぐすこともある。このプログラムが無ければ途中で手を止めていたかもしれないケースもあったという。メンターが「諦めてはいけない」と背中を押し、起業家が完成させるところまでたどり着く――そういった血の通った支援が、当支援事業の特徴だ。
応募者が最も不安を抱きやすい資金繰りにも、この事業ならではの配慮がある。費用支援は立て替え方式のため、起業家にとっては、支払った費用がいつ手元に戻るかが切実だ。一般的な助成金では入金まで長く待たされることも珍しくないが、本事業では所定の手続きを踏んだ費用が短い期間で戻ってくる。本事業の費用支援は助成金ではなく「支援金」という立て付けで、こうした早さもその枠組みによるところが大きい。立て替えの負担が長く続かないため、資金の余力が限られるスタートアップでも、開発や検証を止めずに進めやすい。
また、費用支援を受けるには、事前に開発の計画をまとめておく必要がある。ただ、その作成を起業家1人に任せきりにはしない。PMや事務局が一緒に組み立て、書類のチェックまで手伝う。経理や事務に不慣れな起業家にとって、この支えは小さくない。
誰が挑めるのか

対象になるのは、東京都内で法人登記を具体的に計画している個人か、都内で実質的に事業を行っている創業10年未満の中小企業だ。ロボットやヘルスケア、モビリティ、検査装置など、ハードウェアを含むプロダクトの開発であることが条件で、原理試作を済ませていること、TOKYO創業ステーションへのメンバー登録を済ませていることが求められる。
応募の条件は、それほど厳しくない。頭の中のアイデアが簡単な試作など何らかの形になっていれば応募でき、量産向けの完成度の高い試作までは求められない。採択の目は、社会へのインパクトが大きい挑戦だけでなく、自己資金や融資と支援金を組み合わせて着実に前へ進む堅実な事業にも向けられる。
これまでに採択された顔ぶれは幅広い。研究開発に挑むスタートアップから、ものづくりの経験が浅い個人の挑戦まで、領域も背景もさまざまだ。まずは、伴走を受けた起業家が何を進めてきたのかを見ていきたい。
イチゴの生産を自動化する設備に取り組むHarvestXは、当支援事業を通じて事業を前進させた1社だ。イチゴは体積あたりの単価が高く市場の需要も大きいが、気候や、12月から5月ごろというシーズンに供給が左右されやすい。同社はその設備を使い、1年を通してイチゴを安定して仕入れられる状態を目指してきた。開発を進める中で樹脂成形の部品が必要になったものの、少量しか発注できないスタートアップに応じてくれる相手は簡単には見つからない。そこでこの事業を通じて紹介されたのが、将来の量産まで見越して取引に応じる製造先だった。1社だけでは届かない相手と組めたことが、開発の前進につながった。公的な支援が後ろにあるからこそ、自分たちだけでは進めにくかった一歩を踏み出せた格好だ。
店舗の中で複数の作業をこなす次世代のロボットを開発するMUSEは、前職時代に顧客から「店舗に導入できないか」という声を受けたことが出発点だった。その現場に最適化したロボットを一から作れば大きな可能性があると考え、この事業に参加した。費用の支援に加えて、事業の最終成果を示す期限が開発の節目となり、その期限に向けてチームの意識づけが進んだ。その後も開発を重ねた同社は、ロボットで省人化や効率化を目指す時代のニーズを追い風に、さまざまなメディアで紹介されている。
ものづくりの専門家でなくても、採択される道がある。その一例が、筑波大学発のスタートアップmoreoverだ。代表の大西安季氏は理学療法士で、エンジニア出身ではない。尿漏れや頻尿といった、病院に行くほどではないが人には相談しにくい悩みは多い。そうした声を受けてきた大西氏は、骨盤底筋をほぐすという発想にたどり着いた。骨盤底筋のトレーニングは地道で続けにくいが、製品に座るだけならと続けられる。
その着眼から生まれたのが、座るだけで骨盤底筋をほぐすセルフケア用品「SOKOAGE」だ。グッドデザイン賞を受賞し、応援購入サービスのMakuakeを経て製品化にこぎ着けている。研究の知見はあってもものづくりの経験が浅い起業家が、伴走を受けながら、研究を市場に届く製品へと育てた。
研究者でも、技術者でも、ものづくりの経験が浅い個人でも、出発点はさまざまだ。3社に共通するのは、試作の段階から、その先の量産や事業化まで見据えて伴走を受けてきたことだ。いま手元に試作品があり、その先へ進む道が見えずにいるなら、入り口は同じだ。
費用支援の上限は1年目が最大300万円、2年目が最大1000万円で、支援期間は最長2年に及ぶ。1年目は小さく作って検証し、2年目で量産化に向けた試作まで踏み込む。金額が上がるのは、この順序に沿った設計だ。1年目は最大10社、審査を経て2年目は最大3社に絞られる。まず動くべきは、エントリーだ。2026年7月10日までにエントリーし、事務局との事前面談で要件を確認した上で、2026年7月1日から22日の期間に申請書を提出する。「自分は対象になるのか」と迷う段階でも、ひとまずエントリーして面談で相談できる。2026年7月8日には事業説明会も予定されており、ここに参加すれば10日のエントリーに間に合う。
試作品の前で立ち止まっているなら、次に必要なのは、それを売れる製品に変え、量産まで運ぶ伴走者かもしれない。最長2年の支援は、その役割を引き受けるために用意されている。
多摩ものづくりスタートアップ起業家育成事業のエントリー・詳細はこちらから
https://startup-station.jp/tn/services/tamamonozukuri-startup
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