Makerから企業まで席巻する魔法の箱、「M5Stack」創業者Jimmy Laiの半生

5cm角の筐体にディスプレイとボタンとバッテリーを収め、そのまま個人の作品にも企業の製品にも組み込めるマイコンモジュールが「M5Stack」である。

2017年の発売から10年足らずで世界中でプロトタイピングにおける定番になり、日本は発売当初は世界シェアの約35%を占める最大市場であり、その後も長く支持されている。製品群は350種類を超え、2024年にはESP32の供給元であるEspressif Systems傘下に加わった。

このMakerを熱狂させる“魔法の箱”を作ったのが、中国広東省出身のJimmy Lai氏である。国有電力会社に11年勤めた後に起業。これまでに累計300万台を出荷し、110の国と地域に18万人以上の開発者コミュニティを有する。Lai氏のこれまでの歩みには、節目のたびに「人からの贈り物」が現れたという。Makerに愛される箱を生み出したLai氏の半生を取材した。

※Lai氏の発言は中国語によるもので、引用は編集部訳。

目次

香港の叔父と「発明の百科事典」

M5Stack創業者のJimmy Lai(赖景明)氏。インタビューはMaker Faire Tokyo翌日の早朝に行われた。

1982年、Lai氏は広東省東莞市に生まれた。香港に隣接するこの街では、香港のテレビ放送が日常に入り込んでいる。中学1年の頃、その電波が「天空の城ラピュタ」を運んできた。

「あれは本当に、子どもの頃の私の夢でした。画面の中の技術やアイデアが大好きで、飛行機やロケットのような、地球を離れていく何かを作りたかったんです」

憧れはすぐ手を動かす方向へ向かう。ラジコン飛行機のクラブに通い、熱気球や簡単な飛行機を自作した。プログラミングもできない中学生が、手の届く材料で空へ近づこうとしていた。

もう一つの扉を開けたのは、香港に住む叔父である。金型設計のエンジニアで、帰省のたびに幼いLai少年を市街へ連れ出し、マクドナルドと模型店に寄るのが決まりだった。初めて買ってもらったのがタミヤのスポーツカーの模型で、来日中にタミヤ歴史館へ足を運んだ際、その一台を探したものの見つからなかったと本人は悔しがる。

「なぜ電球は光るのか、なぜ車は曲がるのか。私は質問ばかりする子どもでした。あの数冊の本と、叔父から教わったことが、私の一生を変えたんです」

香港で出版された繁体字の「発明の百科事典」は、年に数回しか会えない叔父の代わりに、少年の質問へ答え続けた。ドラえもんが描く発明の数々も、後に最も好きなアニメになるエヴァンゲリオンも、同じ好奇心の延長線上にある。日本のアニメと模型は、こうして少年の原点に刷り込まれた。のちにその日本が、彼の製品にとって最大の市場になる。

辞表の日、引き出しには開発ボードの山

大学で電気工学を学んだLai氏は、1年生でC言語に開眼し、電子回路や小さな装置の自作を積み重ねた。2004年、中国南方電網に入社する。広東省一帯に電力を供給する国有企業である。

安定した職場は、裏を返せば古い職場でもあった。現場の道具は時代遅れで、手順には改善の余地が転がっている。彼は社内ラボでスマートメーターなどの装置を作りながら、改善提案の社内活動に毎年参加した。日本の製造業でおなじみのQCサークル活動が、中国の電力会社にも根付いていたのである。職場代表から始まり、全社代表、省代表として全国大会へ。11年間、一度も欠かさなかった。

「課題ごとにハードウェアを作り、CNCで部品を削り、Webサイトを立ち上げ、写真や動画を撮って、壇上で発表する。毎年その繰り返しでした。あの鍛錬のすべてが、いまの経営に生きています」

転機は2つ、ほぼ同時に来た。1つは社内ラボに配属された若い助手である。起業家を多く輩出する武漢の大学の出身で、国有企業の塀の外に広がるスタートアップの空気をラボに持ち込んだ。毎日の仕事をこなせば十分だと思っていたLai氏が、初めて起業を意識する。もう1つが、2015年に授かった2人目の子どもだった。中国で2人目の出産が解禁されるかどうかという、ちょうど制度の変わり目である。2018年に筆者が深圳のオフィスで取材した際、彼はこの出来事を退職の引き金として挙げていた。

11年勤めた会社を辞める。ただし、何をやるかは白紙だった。

「不安はありませんでした。プロジェクトならいくらでも抱えていましたから。ただ、ラボを片付けていて開発ボードの山を見たとき、ふと思ったんです。ここには磨かれていない部分がまだ山ほど残っている。それなら自分が起業して、この分野をもっと良くできるかもしれない、と」

M5Stackの公式ブログも、この日の光景を創業の原点として記している。開発ボードは試作の入り口としては便利でも、画面や電源や筐体を継ぎ足さない限り、完成品の形にならない。それなら、必要なものを最初からひとまとめにした箱を作ればいい。社名になるアイデアの芽は、退職の日の引き出しの中にあった。

なぜ、安定を捨ててまでか。本人の答えは明快だった。

「私は自由が好きなんです。歳を取ったときに、自分でもすごいと思えるようなことをやりたい。世界を相手にする仕事がしたかったんです」

試作品30個を抱えた、初めての英語面接

2015年6月に着想は形になり始め、9月には東莞で1人きりの会社を登記した。オフィスは現在の3分の1ほどの小部屋である。同じ年、中国は「大衆創業・万衆創新」のスローガンの下で起業ブームの頂点にあり、深圳で開かれた関連イベントに広東省の小さな創業者として推薦が舞い込んだ。自分の試作品を初めて人前に並べた日、予想外のことが起きる。

「深圳のMakerたちが、私のブースで何時間も話し込んで帰らないんです。作品をSNSに上げたこともなかったので、自分の作ったものがどう見られるのか、あのとき初めて知りました。だんだん希望が湧いてきたんです」

足を止めた1人が、深圳のMakerコミュニティの古参メンバーのRyan Liang(梁宏恩)氏だった。

「Ryanは私に2つの贈り物をくれました。1つは私を深圳に連れてきてくれたこと。もう1つは、Martinを紹介してくれたことです」

2つ目の贈り物の話は、少し先で触れる。Ryan氏の勧めでクラウドファンディングの準備を始めたLai氏は、プロモーション映像の撮影現場で、ハードウェア専門アクセラレーターHAXのカメラマンと知り合う。ちょうどHAXが中国企業向けの第1期プログラムを立ち上げるところで、勧められるまま事業計画書を送ると、面接に呼ばれた。当時33歳、それまで外国人と英語で会話した経験は一度もなかった。

Lai氏を深圳に招いたRyan氏(写真提供:高須正和氏)

「聞き取れないことだらけで、いま思い出すと笑ってしまいます。それでも学ぶ気だけはあったので、すぐに慣れました」

試作品30個を抱えて臨んだ面接を通過し、2016年7月、彼は1人でHAXの門をくぐる。半年のプログラムで特許、広報、サプライチェーンを学び、2017年1月にはサンフランシスコのデモデーに登壇した。東莞で黙々と開発に勤しんだエンジニアが、1年半後には米国の壇上に起業家として立っていたことになる。もっとも、彼がHAXを買っているのは、この華やかさではない。

「彼らは長い目で物事を評価する人たちでした。スタートアップの成功率が低いことを知っていて、私たちを自由にやらせてくれた。10社のうち1社でも当たれば十分だと考えていたんです」

その言葉を裏付ける数字も、本人の口からあっさり出てきた。同期の中国第1期は8チームだった。数カ月で姿を消すチームが出はじめ、現在も事業が続いているのはロボットアームを開発するElephant RoboticsとM5Stackの2社だけだそうだ。

キャンセルボタンと、9.9ドルの再出発

2017年にKickstarterで実施したキャンペーンは失敗に終わったものの、
2026年にはCardputerZeroで3億円、スタックチャンで約7100万円を集め捲土重来を果たした。

準備していたクラウドファンディングは、2017年2月28日にKickstarterで公開された。目標は4万ドル(約620万円)。集まったのは1万288ドル(約160万円)で、支援者は92人だった。そこで彼は、10日目にしてキャンペーンを自ら止めてしまう。

「広告も打たず、メディアにも売り込まず、コンテンツはほとんど自分で作りました。予約販売の仕込みもない。初日からアクセスが足りないと分かったんです。それなら止めて、やり直した方がいい」

未練はなかったのか。答えは淡々としていた。

「私は失敗に慣れているんです。大学でも電力会社でも、プロトタイプの大半は失敗でした。10のうち1つか2つも成功すれば上出来です。長くやると決めていれば、小さな問題はどうでもいいんです」

クラウドファンディングのキャンセルからほどなく、彼は上海行きの切符を手にする。隣にいたのがRyan氏の2つ目の贈り物、Martin(韩笑)という少年だ。出会ったときはまだ17歳の高校生である。業界動向に通じ、基板設計の腕も立つ。Lai氏によれば、2015年頃のEspressifは社員5人ほどの小所帯で、CEO自らMITに乗り込んでESP8266を広めていた時代があり、Martin氏は15歳からその会社を手伝って経営陣と親しかった。

写真中央の男性がMartin氏。M5Stackの中核メンバーとして、現在もLai氏を支えながら大学院の博士課程に籍を置く。
(写真提供:スイッチサイエンス)

「彼をチームに採用したいと思いました。でも能力の高い人は、簡単には来てくれません。彼を口説くために、大きな物語を用意する必要がありました。ソフトウェアの未来と、ユーザーに愛されるブランドを一緒に作ろう、という話です」

口説き落とされた高校生は初代機の回路設計を引き受け、そして上海のEspressifへの扉を開けた。折しも同社は、Microsoft関連のイベント向けにESP搭載の開発ボードを探していたタイミングだったと本人は振り返る。2017年3月、製品は新チップESP32を心臓部に据えて再出発し、価格は35ドル(約5500円)から9.9ドル(約1500円)へ下がった。まとまった注文が見えたとき、Lai氏は腹を決める。数十個作るなら、いっそ金型を起こそう。かつて憧れた香港の叔父の仕事を、今度は自分が発注する側に回った瞬間である。

初回の量産はおよそ500個だった。回路はMartin氏が担い、筐体もパッケージも説明書も製品写真も、Lai氏が自分で仕上げた。

「中国語で『石を探りながら川を渡る』と言いますが、まさにそれでした。一歩ずつ試すしかなかったんです」

売れ方は、想像の斜め上から来た。淘宝(Taobao)に並べた箱を、深圳の電気街・華強北の貿易商が250個まとめて買っていったのである。500個の半分が、一度に消えた。行き先はタイだった。

「日本より先に、タイで人気になったんです。タイの教育関係者やMakerは中国の製品をよく見ていて、出た瞬間に輸入が始まりました。これはいけるかもしれない、と自信がついていきました」

世界シェア35%は「ドラえもんの国」

2018年に筆者が取材で訪問した際のM5Stackのオフィス。当時は深圳にあったHAXのオフィスを間借りしていた。

日本が追いつくのは、その少し後である。2017年11月のMaker Faire Shenzhenでスイッチサイエンスの担当者がこの箱に目を留め、2018年初頭に国内販売が始まった。以来、日本は同社にとって重要な市場であり続ける。香港の電波でラピュタを見た少年の製品は、世界のどこよりも日本で愛された。取材前日までMaker Faire Tokyoの会場を歩き回っていた本人に、その理由を聞いてみた。

「子どもの頃、ドラえもんをよく見ていました。ああいうアニメの中に、発明のひらめきがもう詰まっているんです。Maker Faire Tokyoで見る作品には、あの頃のいちばんシンプルなアイデアがそのまま形になっているものがある。とても貴重なことです。世界中のMakerは東京を見に来るべきだと、友人たちに言っています」

日本のユーザーが投稿する作品や改造に、Lai氏はX(旧Twitter)でまめに反応することで知られる。多忙なCEOの振る舞いとしては珍しい部類だが、理由を尋ねると、経営論より先に原理原則が返ってきた。

Maker Faire Tokyo 2026で来場者からの写真撮影に対応するLai氏。2日かけて全てのブースを回り、M5Stackユーザーとの交流を深めた。

「私の目的はシンプルで、みんなが役に立つと思い、好きになってくれる製品を作ることです。半年後に出る製品のアイデアは、ユーザーが知っていていい。意見をもらえるし、進み具合も共有できます。ユーザーと同じ場所に立っていること。それがブランドのいちばん貴重な部分だと思うんです」

金儲けがゴールではない、と彼は以前から公言してきた。きれいごとにも聞こえる言葉の続きには、冷静な線引きがあった。

「稼ぐことは第一の目的ではありません。ただ、譲れない最低ラインではあります。会社が稼げていないなら、その製品は誰の問題も解決できていない証拠ですから」

会社は工場部門を含む組織に育ち、資本の面でも2018年のEspressifからの出資を経て、2024年4月に同社グループの一員になった。それでも社長室には、いまもはんだごてと部品箱が置かれ、新しい試作が生まれ続けている。

「アイデアは、食事中も寝る前も頭の中にあります。プロダクトマネージャーも育てていますが、彼らにとってこれは仕事です。私のようにこの循環の中に住んでいる人間は、まだいません。だから当分は、自分の手で作るしかないんです」

未来は自分の能力で決まるもの

創業からの10年で変わったことを尋ねると、変わらないものの話になった。引き合いに出されたのは、Lai氏が幼少期から慣れ親しんだタミヤである。

「創業に関して、私は古いタイプの人間です。コロナ禍が来ても時代が変わっても、あまり心配していません。人の役に立つ製品なら、作り続けられますから。タミヤを見てください。本当に良い製品を作る努力を続けている会社です。私もそうありたい。そのうえで、良い製品に良いマーケティングをどう組み合わせるか。それをいま勉強しているところです」

少年時代に憧れた模型メーカーは、30年あまりを経て経営の手本になった。

一方で、時代の変化は彼の足元まで来ている。M5Stackのエンジニアの9割以上が、すでにAIでコードを書くようになった。

「誰もがAIで作れるなら、AIにできないものを考えることが競争力になります。私の役割は、AIよりうまくやれる場所を考え続けることです」

では、次の10年でM5Stackをどこへ連れて行くのか。答えは潔かった。

「正直に言うと、計画はありません。10年先まで計画しても、世界は変わりすぎますから。良い製品、良い会社、良いチームを作る。それだけが私の能力の範囲です。どこまで行けるかは、道ではなく自分の能力が決めるんです」

その能力を10年間押し上げてきた場所のひとつが日本であることを、彼自身がよく知っている。インタビューの終わり、日本のユーザーの話になると、言葉が熱を帯びる。

創業間もない頃に撮影したプロダクトの変遷(上・2018年に筆者が撮影)と、2026年度の製品カタログに収められた主力プロダクト(下)

「長年の支援に感謝しています。まだ至らないところの多い私たちを、皆さんが支えてくれました。どうか率直なフィードバックをください。製品をもっと良くして、皆さんの役に立ちたいんです」

録音を止め、機材を片付け始めてからも、彼は話し続けた。日本の商習慣も文化も知らずに来た自分に、あらゆる事を教えてくれた人たちがいて、だから大きく道を踏み外さずに済んだのだと話した。9年前にこの箱を見出して日本市場へ持ち込み、以来総代理店として伴走してきたスイッチサイエンスへの、率直な感謝だった。この話も記事にしてよいかと尋ねると、笑って頷いた。

「私はこの文化に溶け込んで、成長できました」

香港の叔父は、質問ばかりする甥に百科事典を渡した。Ryan氏は東莞の無名のエンジニアを深圳へ連れ出し、若き天才を引き合わせた。日本の作り手たちは、魔法の箱への熱狂と共に世界最大の市場を贈った。贈り物のリレーの先端で、Lai氏はいま、はんだごてを握って次の箱を作っている。模型店の棚を見上げていた少年が受け取ったものを、今度は渡す番に立っている。

取材協力:スイッチサイエンス


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FabScene編集長。オープンソースハードウェアや3Dプリンター、デジタルファブリケーション、ハードウェアスタートアップを専門領域とする。

大学卒業後、複数の業界でデジタルマーケティングに携わる。2013年当時に所属していた会社でwebメディア「fabcross」の設立に参画。12年間に渡ってサイト運営に従事し、月間100万PV規模に成長させる。並行して国内外のハードウェア・スタートアップやメイカースペース事業者、サプライチェーン関係者など100人以上取材。

2017年に独立、2021年にシンツウシン株式会社を設立。編集者・ライターとして複数のオンラインメディアに寄稿するほか、企業のPR・事業開発コンサルティングやスタートアップ支援事業に携わる。

2025年にFabSceneを設立。ハードウェアとデジタルファブリケーションの「現場」を一次取材で記録することをミッションとする。趣味は365日働ける身体作りと古着屋巡り。

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